------------------
百戦奇略
------------------

著者:劉基(リウ・チー)(字:伯温)

1311〜75(至大4〜洪武8)

 中国、元末・明初の文学者、政治家。青田(浙江)の人。至順4(1333)年に進士に及第、はじめ元に仕えたが、のち朱元璋のもとに投じ、明の建国に大きな功績を挙げた。

 朱元璋が劉基を尊重し、「わが子房(=漢の劉邦の名参謀長良)なり」と言った。当時、諸葛孔明の再来ともいわれたほどである。

 明初、多くの粛正が行なわれた中で、一貫して太祖朱元璋の厚い信任を受けたが、丞相の李善長、胡惟庸らと合わず、洪武4(71)年辞職して故郷に帰り、そこで没した。胡惟庸に毒殺されたともいう。

 博学で天文・数学などにも詳しく、詩文にすぐれ、文は宋濂に次ぎ、詩は高啓に次ぐといわれた。著書『郁離子』『春秋明経』など、詩文とともに『誠意伯劉文成公文集』に収められている。

 もっとも、『百戦奇略』は、北宋末の作者不明『百戦奇法』を、清代の人が題名を変え、劉基著としたものともいう。

 百戦奇略は、全部で100項目。2項目ずつ対になっている。

 各項目は、1)理論 2)兵法書引用 3)実例 となっているが、ここでは実例部分を省略した。

※兵法書出典の[ ]は原文どおり、( )は要約引用されているもの。

1〜20

21〜40

41〜60

61〜80
81〜100


by ISHIHARA Mitsumasa 石原光将