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黄石公三略
上略
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柔よく剛を制す

主将の法は、努めて英雄の心を掌握し、功のある者を賞禄し、自分の意志を軍に通じさせることである。ゆえに、兵たちと好みを同じにすればなし遂げられないことはなく、兵たちと嫌うのを同じにすれば心を寄せない者はない。国を治め、家を安んずることができるのは、人を得るからである。国を滅ぼし、家を破るのは、人を失うからである。生類はだれも、その意志を遂げたいと思っているものだ。

  『軍讖』(予言的兵法書)にいう。
「柔はよく剛を制し、弱はよく強を制す」と。
 柔であることは徳であり、剛であることは賊である。弱は人に助けられ、強は人に攻められる。柔も設けるところがあり、剛には施すところがある。弱には用いるところがあり、強には加えるところがある。この四つのものを兼ね備えるのがよろしい。

 物事の端末がまだあらわれないとき、人は知ることができない。天地神明というものは、ものとともに推移する。変動して、常であるものはなく、敵によって変化する。人の先に事をせず、敵が動いたら相手に従う。こうすれば勝利を手に入れ、帝王の威をたすけることができ、八極を正しくし、九夷を鎮定することができる。このように謀る者は、帝王の師である。

 ※天地神明とは、いわゆる陰陽の二気の作用である。天の道は、春から夏、夏から秋、秋から冬、冬からまた夏に戻る。地の道は、生えて成長し、成長して収穫し、収穫して収蔵し、収蔵してまた生やす。興亡盛衰、栄枯代謝するのが、物と推移である。ゆえに将たる者は、奇であったり正であったり、変動して常であることがない。敵の強弱虚実によって転化する。
 ※八極は、八方位(東西南北と北東・南東・南西・北西)
 ※九夷は[田犬]夷、于夷、方夷、黄夷、白夷、赤夷、元夷、風夷、陽夷。要するに異民族。

 だからいう。
「(人々はみな)強を貪らないものはいないが、(剛柔の)機微を守れる者は少ない」と。
 もし剛柔の機微を守るならば、その生を保つであろう。

 聖人はこれを心得て、時機に応じて使い分ける。これを延ばせば四海にわたり、これを巻けば一すくいにもならず、これを置くには部屋もいらないし、これを守るのに城郭もいらない。これを胸の奥にしまっておけば、敵国は降伏する。

 『軍讖』にいう。
「柔でもあり、剛でもあることができるなら、その国はいよいよ光り、弱でもあり、強でもあることができるなら、その国はいよいよ彰れる。もっぱら柔だったり、もっぱら弱であれば、その国は必ず削られ、もっぱら剛であったり、もっぱら強であれば、その国は必ず滅ぶ」と。

国を治める要点は民にある

 国を治める道は、賢者と民頼りである。腹心のように賢者を信じ、四肢のように民を使えば、政策はうまくいく。行くところに足と体がついていき、骨と関節がお互いに補うように、天道の自然は巧みであって、隙をうかがう余地がない。

 軍国の要点は、衆の心を察して百務を施すことである。

  ※百務とは以下のものである。

 危険な者を安全にし、恐れる者を喜ばせ、そむく者を(本国に)返し、冤罪の者を許す。訴える者は(その事情を)察し、卑しい者を貴くし、強い者を抑え、敵対する者を滅ぼす。貪る者は豊かにし、欲する者には(意志を)遂げさせ、隠れたい者は隠し、はかりごとのある者は近づける。讒言する者は覆し、名誉毀損する者にはそれを明らかにし、反乱する者は廃し、横暴な者はくじく。満ちている者は損害し、帰順する者は招き、服従する者は活かし、降伏する者は(罪を)脱する。

 堅固なところを得たらこれを守り、険阻なところを得たらこれを塞ぎ、難所を得ればここに駐屯し、城を得たらこれを割いて与え、土地を得たらここに人を封じ、財を得ればこれを配る。敵が動けばこれを伺い、敵が近づけばこれに備え、敵が強ければへりくだり、敵が充実していればこれから逃げ、敵がしのいでいれば(衰えるのを)待ち、敵が乱暴なら仁をもって安んじ、敵が(道義に)もとれば道義でただし、敵がむつまじければこれを離間する。敵の挙動に従ってこれをくじき、敵の勢いによってこれを破り、流言飛語で敵を惑わせ、四面に網羅して敵を漏らさない。(敵の財を)得たら所有するな。適地にいても長居するな。敵を抜けば長くいるな。(敵が新君を)立てたら攻め取るな。

 (はかりごとを)なすのは自分であって、(その功を)有するのは部下であるが、(本当の)利益があるところはわかるだろうか。部下は諸侯であっても、自分は天子である。城を自らもたせ、部下に自ら治めさせよ。

 世の人は、祖を祖とする(祖先を尊ぶ)けれども、下を下とする(民を愛する)者は少ない。祖先を尊ぶのは親であり、民を愛するのは君である。民を愛する者は、農業を行って、その耕作の時を奪うことなく、税金を薄くして、その財をとぼしくせず、労役をまれにして疲労させなければ、国は富んで家は楽しくなる。そうしておいて(賢)士を選んで、これを採用する。ここでいう「士」とは英雄である。だから「この英雄をもれなく登用すれば、敵国は窮する」という。英雄は国の幹であり、庶民は国の本である。その幹を得、その本を収めれば、政治が行われて恨む者はない。

兵を用いる要点は礼にある

 兵を用いる要点というものは、礼をあつくして俸禄を重くすることにある。礼があつければ智士が集まり、俸禄が重ければ義士が死をいとわない。だから、賢者に禄を与えるのに財産を惜しまず、功績を賞するのに時機を遅らせなければ、部下は力を合わせて、敵国が削られる。人を用いる道は、爵位で尊び、財でにぎわすならば、士がひとりでにやってくる。礼をもって接し、義で励ますならば、士は命を投げ出す。

 将帥というものは、必ず士卒と食事を同じにし、安危をともにすれば、敵に兵を加えることができる。そうすれば我が兵は全勝でき、敵は全滅する。昔、良将で、兵を用いるのに、一樽の酒を贈った者がいた。これを河にそそぎ込み、士卒と同じ水を飲んだ。一樽の酒は少量で、一河の水に味をつけることはできないが、それでも三軍(全軍)の兵士がこの人のために死のうと思うのは、その美味が自分にも与えられたと思ったからだ。
 『軍讖』にいう。
「軍の井戸がまだ通じていないうちは、将はのどが渇いたと言ってはならない。軍の幕がまだ張れていないうちは、将は疲れたと言ってはならない。軍のかまどがまだ準備できていないうちは、将は飢えたと言ってはならない。冬にも革の外套を着ず、夏にも扇をとらず、雨が降っても傘を張らない。これを将の礼という」と。
 士卒とともに安く、士卒とともに危険であるなら、その衆は合うのが当然で離れることはなく、用いることができても疲れさせることはない。その恩を平素から蓄えており、考えを平素から合わせているからである。だから「恩を蓄え続けていれば、一人を万人に対抗させられる」というのである。

 『軍讖』にいう。
「将が威信をなすのは、号令による。戦いが完勝するのは、軍政による。士が喜んで戦いに赴くのは、(将の)命令を用いるからである」
 だから、将は命令を取り消すことなく、賞罰は必ず信頼できるようにして、天のように地のようにして人を使うべきである。士卒は将の命を受けて、国境を越えていくであろう。

 ※天は春夏秋冬の時機を失うことなく、地は生長収蔵の時を失わないように、人を使うべきである。

 軍を統率し、勢いを維持するのは、将である。勝ちを制し、敵を破るのは、衆である。だから、乱将は軍を保つことができず、乖衆は人を伐つことができない。城を攻めても抜くことができず、村を取ろうとしても滅せない。二つともうまくいかなければ、士卒の力は疲弊する。士卒の力が疲弊すれば、将は孤独で衆はそむく。これで守れば固くなく、戦えば逃げて敗れる。これを老兵というのである。

 ※号令が不明な者を乱将という。
 ※命令に従わない者を乖衆という。

 兵が老いれば、将の威令は行われない。将に威令がなければ、士卒は刑を軽んずる。士卒が刑を軽んずれば、軍は秩序を失う。軍が秩序を失えば、士卒は逃亡する。士卒が逃亡すれば、敵は利に乗じてくる。敵が利に乗じてくれば、我が軍は必ず敗れる。

 『軍讖』にいう。
「良将が軍を統べるときには、自分の心をおしはかって人を治める」と。
 恵みをおしはかって恩を施せば、士卒の力は日々あらたまり、戦うのは風が発するように、攻めるのは河が決壊するようなものとなる。だから、敵の衆が望んでも自軍に当たってこれず、降伏しようとはしても勝とうとは思わない。我が身をもって率先するならば、その兵は天下の雄となる。

 『軍讖』にいう。
「軍は賞を表とし、罰を裏とする」と。
 賞罰が明らかであれば、将の威令は行われる。人を官にすることが適切ならば、士卒は服する。任ずる者が賢者ならば、敵国は恐れる。

 『軍讖』にいう。
「賢者の行くところ、その前に敵なし」と。
 だから、士卒にはへりくだるべきであって、驕ってはならない。将には楽しませるべきであって、憂えさせてはならない。はかりごとは、深くすべきであって、疑ってはならない。士卒に驕れば、部下は従わない。将が憂えれば、内外ともに信じることができない。はかりごとを疑えば、敵国が元気尽く。この状態で攻略しても乱れるだけだ。将というものは国家の命運である。将が勝利を制することができれば、国家は安定する。

 『軍讖』にいう。
「将が清くあることができ、静かであることができ、心が平らであることができ、整うことができ、いさめを受けることができ、訴えを聞くことができ、人を受け入れることができ、意見を採用することができ、国の民俗を知ることができ、山川を図ることができ、険難を明らかにでき、三軍の権を制することができなければならない」と。
 だから、こういわれる。仁賢の智恵、聖明の思慮、人民の言葉、朝廷の意向、(前代の)興亡のことは、将が聞くべきことである。将たる者が、渇するように士卒を思うことができれば、策が集まってくる。
 将がいさめを聞かないなら、英雄は散っていく。(人の)策に従わなければ、知謀の士が逆らう。善でも悪でも同じ扱いをするなら、功臣はやる気をなくす。独断専行すれば、部下は責任を上のせいにする。自ら誇れば、部下は功績を行わない。讒言を信じれば、衆の心は離れていく。財を貪れば、悪事を禁じることができない。自分の家族のことを考えていれば、士卒は女色にのめりこむ。将に(以上の八事のうち)一つあれば、衆は服従しない。二つあれば、軍に秩序はない。三つあれば、部下は逃走する。四つあれば、災いが国に及ぶ。

 『軍讖』にいう。
「将のはかりごとは秘密であることが要求される。士卒は一体となっていることが要求される。敵を攻めることは迅速であることが要求される」と。
 将のはかりごとが秘密であれば、(部下の)悪い心は出てこない。士卒が一体となっていれば、軍の心は結ばれている。敵を攻めるのが迅速ならば、防備を設ける必要もない。軍にこの三つがあれば、計画は失敗しない。
 将のはかりごとが漏れれば、軍に勢いがなくなる。外敵が内をうかがえば、災いを防げない。財が自軍に入れば、悪い士卒が出てくる。将にこの三つがあれば、軍は必ず敗れる。

 将に思慮がなければ、知謀の士が去る。将に勇気がなければ、士卒は恐怖心を持つ。将がみだりに動けば、軍に重みがなくなる。将が怒ってばかりなら、軍は萎縮する。
 『軍讖』にいう。
「思慮、勇気は、将が重んじるもの。動き、怒りは将が用いるもの。この四つのものは、将の明らかな戒めである」と。

 『軍讖』にいう。
「軍に財がなければ、士は来ない。軍に賞がなければ、士は行かない」と。
 『軍讖』にいう。
「おいしい餌があれば、必ず釣られる魚がいる。重賞があれば、必ず勇夫がいる」と。
 だから、礼で士が集まってくるし、賞で士が死をいとわなくなる。集まるもので招き、示すのに死をいとわなくなるものを示せば、求めるものが来る。だから、礼をもって人を待っていたのに、あとでそれを悔いる者のところには、士卒がとどまらない。賞しておいてあとで悔いる者のところには、士卒は使われない。礼賞を続けていれば、士は争って死のうとする。

 『軍讖』にいう。
「戦争を起こす国は、まず恩を盛んにすべきであり、攻め取ろうとする国は、まず民を養うべきである」と。
 少数で多数に勝つのは、恩による。弱で強に勝つのは民による。だから、良将が士卒を養うときは、自分のことのようにする。だから、三軍(全軍)を一心のようにさせれば、その勝利は完全なものとなる。

 『軍讖』にいう。
「兵を用いる要点は、必ずまず敵の状態を察し、その倉庫を見、その糧食を測り、その強弱を占い、その天の時・地の利を察し、その乗ずべき隙をうかがうことである」と。
 だから、国に、軍隊派遣の難がないのに食糧を運んでいるのは、その国が虚だからである。民が青白い顔をしているのは窮している。千里をへだてて食糧を送っているなら、兵士は飢える。薪を取り、草を刈ってから食事を作っているようならば、軍は朝まで腹が満ちているようなことはない。
 食糧を千里のところまで運ぶなら一年分の食糧がなくなり、二千里ならば二年分の食糧がなくなり、三千里ならば三年分の食糧がなくなある。これを国が虚であるという。国が虚であれば民は貧しい。民が貧しければ上下の者は親しまない。敵は国外から攻め、民は国内で盗む。これを「必潰(必ず潰滅する)」という。

亡国に至る道

 『軍讖』にいう。
「上が暴虐をおこなえば、下も急迫過酷である。税金が重く、厳しくて、刑罰が厳しすぎれば、民はお互いに殺し合う。これを亡国という」と。

 『軍讖』にいう。
「内では貪りながら外には清廉にみせ、名誉を偽って名声を取り、公のものを盗んで恩を売り、上下の区別をわからなくし、身を飾り、顔を正して、高官を手に入れる。これを盗の端(泥棒の始まり)という」と。

 『軍讖』にいう。
「官僚たちが徒党を組んで、おのおの親しい人を昇進させ、奸臣・邪な者を招き、仁者・賢者を抑えてくじき、公にそむいて私を立て、同じ位の者がお互いにそしる。これを乱の源という」と。

 『軍讖』にいう。
「威勢強大の宗族が集まってよこしまなことをし、位がないのに尊く、威勢でおどし、蔓のように連なって、少しの徳で恩を売り、位についている人の権限を奪い、庶民を侵してあなどり、国内に恨みの声が満ちても、臣は隠して言わない。これを乱の根という」と。

 『軍讖』にいう。
「地方の権勢家がよこしまなことをなし、県官の権限を侵して盗み、昇進させたり退けたりして自分の便宜を図り、法律を曲げたりゆがめたりして君主まで危うくさせる。これを国姦(国奸)という」と。

 『軍讖』にいう。
「官吏が多くて民が少なく、人に尊卑の区別がなく、強い者が弱い者からかすめ取り、それを(上にいる人が)禁止したり防いだりすることないという状態が君子にまで及べば、国はその害を受ける」と。

 『軍讖』にいう。
「善を善と知りながら進めず、悪を悪と知りながら退けず、賢者は隠して、不肖の者が位にいるなら、国はその害を受ける」と。

 『軍讖』にいう。
「(根幹より)枝葉が強大で、徒党を組む者が勢いを持ち、卑賤な者が貴い者をしのぐことが長く続いてますます大きくなっているのに、上がそれを廃することをためらっているなら、国はその敗を受ける」と。

 『軍讖』にいう。
「佞臣が上にいれば、一軍はみな(不満を)訴える。威勢を借りるばかりで自ら誇り、動けば衆と違っており、進むときも退くときもみだりに迎合して上に受け入れられるようなことばかりを取り、自己中心的で、立ち居振る舞いは功績を誇るばかりで、徳のある人を誹謗し、凡庸の者をすぐれているといい、善であっても悪であってもみなが自分と同じようにすることを喜ぶ。行うことを遅らせて、(君の)命令を(下に)通じさせず、苛酷な政治を行って、旧習を変え、いつものやり方を改めてばかりいる。君主が(こんな)佞臣を用いれば、必ず禍を受ける」と。

 『軍讖』にいう。
「姦雄がお互いにほめ合って君主の目をくらませ、毀誉褒貶ばかりを言って君主の耳を塞ぐ。おのおの自分のつごうのいい人におもねって、君主のもとに忠臣がいなくさせてしまう。だから、君主が別の者の意見を察すれば、それを未然に察することができる。君主が賢者を登用すれば、姦雄は逃げていく。君主が老練な者を採用すれば、万事がうまく収まる。君主が巖穴の士(隠遁者)を招聘すれば、偽物はいなくなる。卑賤の人にまで相談するなら、大きなことができるであろう。人心を失わなければ、徳は(四海に)あふれるようになる」と。





by ISHIHARA Mitsumasa 石原光将