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武経七書七書は兵書である。晁公武郡斎読書誌によれば、“宋の元豊年間に『六韜』『孫子』『呉子』『司馬法』『黄石公三略』『尉繚子』『李衛公問対』をもって武学に分類し、号して七書という”とある。七書の名前はこのときに始まったようである。その後、国子司業朱服がまた順番を改め、三略を問対の下に移し、六韜を最後に並べ、『孫子』『呉子』『司馬法』『尉繚子』『李衛公問対』『黄石公三略』『六韜』とした。 「兵経」という言い方は戦国策にも登場するが、武経という言い方は宋以降のものである。 1972年4月、山東省臨浙の銀雀山にある西漢の古墓から、孫子の兵法・孫ビンの兵法・六韜・尉繚子の残簡が発見された。つまり、少なくともこの四つは漢以前に存在していたということだ。
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by ISHIHARA Mitsumasa 石原光将 |