謝罪の状況
By ジョージ・メイソン大学公共政治学教授フランシス・フクヤマ
「ワシントン・ポスト」によれば、USSグリーンヴィルによって沈められた日本の訓練船の犠牲者の家族が、潜水艦長スコット・ワドルの申し出た「誠実な後悔(sincere
regret)」の陳述を拒絶し、艦長自身が謝らなかったことに当惑したままである。
ブッシュ大統領から国務長官コリン・パウエル、駐日アメリカ大使に至るまで、アメリカの高官たちは事故についてのたくさんの謝罪を行ってきた。しかし、日本人は謝罪は責任者から直接、面と向かってなされるべきであると感じる。ワドル海軍中佐の弁護士は、法的責任が生じることを恐れて事故について話をしないように助言していたようであるが、この説明は訴訟になじまない国・日本ではよくないように思われる。この事件についてのアメリカの扱いに対する日本人の怒りは、さらに大きな日米の戦略的関係にダメージをもたらすような形でエスカレートする恐れがある。
懐疑的な日本人
我々がどれぐらいすまなく思っているかについて、日本人が懐疑的になるべきであることは驚くことではない。なぜなら、合衆国は安っぽい謝罪の国になったからだ。
クリントン政権は安っぽい謝罪技術を新高値に上げた。ジャネット・リノはウェィコー大惨事(ブランチ・デヴィディアン事件)に対する「責任」を受け入れたが、辞職もしなかったし、彼女が判断に重大な過ちを犯していたと認めもしなかった。1998年、クリントン大統領はサハラ以南のアフリカに変動をもたらした。そこで彼は奴隷制度について、アフリカの独裁者を支援したことについて、ルワンダにおける大量虐殺を止められなかったことについて、その他の過ちについてことあるごとに謝罪したが、10セント硬貨一枚も補償や支援として提供しなかった。
最近、クリントン氏はマーク・リッチの恩赦に「責任」を持った。これが意味するものは、明らかに、実際の恩赦の決断をしたのはヒラリーでもチェルシーでもなく、彼である、ということである。それは、悪い決定だとか間違った決定だとかいう意味ではない。彼の政権のあいだに多くの遺憾の表現があったが、解析すれば、それらは「ジェニファー・フラワー/ポーラ・ジョーンズ/中国のスパイ活動/ホワイトハウスの茶 について騒ぎがあったことを遺憾に思う」であって、決して「私が誤った決定をなしたことを後悔し、今それを償うつもりだ」ではなかった。これは例えば、アルゼンチンが1982年にフォークランド諸島を侵略したときのキャリントン卿の行動と対比されるべきである。大失敗が彼の監視下に起きたとき、彼は英国外務大臣を辞任した。
それでは、その謝罪者が本当に意味することを犠牲者に感じさせることができるような誠実な謝罪は何から成るのだろうか? もし謝罪が痛み、時間、金、屈辱といった何らかの代償をあなたに強いるなら、それは役立つ。日本人はほとんどの国民以上に、切腹の習慣においてそれらをどうするか知っている。あなたは申し訳ないと言い、それから刀を取って、犠牲者の面前で自分のはらわたを切るのである。この形の謝罪は近代世界では少し過激に思われるかもしれないが、日本の新聞はここ数年、腹を立てている従業員・顧客・株主の前で土下座する日本の経営者の写真で満たされてきた。(切腹ではなく、これは、クリントン氏がアメリカ国民の敬意を取り戻すために開かれた選択である)
他方、日本人は信じられる謝罪について、自分たち自身の問題を持っている。1995年に、日本の大蔵省は、当時の財務長官ロバート・ルービンに対して大和銀行のアメリカの支店での未報告の損失について合衆国に告知していなかったことについての「遺憾の意」を示すクリントン式用語を使う一方で、国内の聴衆には同じことを否定した。しかし、いっそう重要な問題は、太平洋戦争の謝罪に関連するものである。
日本の犠牲となった中国、韓国、フィリピンその他の東アジア諸国は、公的謝罪要求を東京政権との不変の特徴としており、その点について多くの日本人は身代金を取られているように感じている。これにはかなりの真実がある。特に中国人は、謝罪に対する要求を外交の多目的の道具として用いており、まことしやかな要求を持っているすべての者が、アジアの金持ちとされる国からの金銭的補償を求めた。
謝罪によって、日本人はこれらの要求に答えた――ある程度は。1995年、社会党村山富市首相は、日本の残虐行為が「歴史の反論できない事実」であったことを認め、戦争についておそらくは最も率直な謝罪を公表した。1998年、小渕恵三首相は、韓国大統領金大中が東京訪問中、韓国の人々に与えられた「耐えがたい損害と痛み」について謝罪した。英国人捕虜に対する日本の扱いについても、日本は英国のトニー・ブレア首相に謝り、江沢民主席がその年の後半に訪問したときには中国にいっそう抑制された遺憾の意を示した。日本はまた、日本軍から売春を強要された韓国の「慰安婦」についても謝罪したが、賠償を支払うことは拒否した。
これらの謝罪すべてにもかかわらず、日本の隣国が、日本人は本当にそう思っているのかと疑っていることは不思議ではない。なぜなら、日本の首相が公式謝罪を公表する時はいつも、日本の他の重要な声が批判として起こったり、日本以外のすべてが真実であると信じていることとまったく異なった20世紀史についての見解を示す者がいたりする。
最も強い公式謝罪が社会党員村山氏によって公表されたことは偶然ではない。なぜなら、謝罪は、戦後のほとんどすべての期間にわたって日本を支配した自由民主党内では概括的に人気が高くないからだ。彼の陳述の前に、日本の国会は討論し、同様の謝罪の言葉を選んで表現された不戦決議を通過させることができなかった。多くの日本人は、日本が戦争の間に加害者ではなく被害者であったと信じており、討論の際に「これらの諸国は白人によって植民地化されてきたのであり、我々の目的はこれらの国家を解放し、安定化させることであった」と述べた元大臣奥野誠亮(Seisuke
Okune)に賛同している。
日本のふるいまいは、ドイツのふるまいと対称をなしている。ドイツは近年、謝罪においてよい行動をなし、その思いを伝えることのできた国の一つである。戦後のドイツ政府は、もちろん、ヒトラーそのホロコーストについて謝罪し、1970年、戦争犯罪を謝罪するためにワルシャワでひざまずいた元首相ヴィリー・ブラント(Willy
Brandt)の劇的なジェスチャーで頂点に達した。ドイツ人はイスラエルに現金報酬を支払い、ドイツ人の若い世代に誰が本当に戦争に関して責任があったかを教えるため、(日本人がやったのとは違う方法で)歴史教科書を書き直した。若いドイツ人は、実のところ、非常に多くの罪がうるさく催促され続けているためにかなり反発しており、なぜ自分たちが父祖の罪に対して支払い続けるべきなのか疑問に思っている。
ドイツは本当に反省しており、変わったのだと感じているが、日本はそうではない、とドイツの隣国が感じている理由は、最近の2冊の本の運命において例証されている。1996年、ダニエル・ゴールドハーゲン(Daniel
Goldhagen)は「ヒットラーの確信犯的死刑執行人(Hitler's Willing Executioners)」を出版したが、これはホロコーストは単なるドイツ人エリートによる陰謀ではなく、広く普通のドイツ人によって支援されていたと論じたものである。本は徹底的にドイツの学会と政治家によって悪しき歴史書として批判されたが、ドイツでは一時的にベストセラーになった。ゴールドハーゲン氏は、今はもはや進んで死刑執行をしようとは思わない民主的で非ナチ化されたドイツ市民という何千という普通のドイツ人に賛同されたのだ。
1937年に南京で起こった暴動の間に写実的に日本の残虐行為を描いたもう1人のアメリカ人、アイリス・チャン(Iris Chang)の『南京大虐殺』1997年版の運命と対比してみよう。本は日本で出版されることになっていたが、それらの信憑性が確かめられないという理由で、日本の発行者は、最初、中国人を銃剣で突いている日本の軍人の写真を削除することと並んで、本文の変更を要求した。著者がこれらの変更を拒否したとき、日本の出版社は、日本の国家主義者によってなされた脅迫もあって、契約から手を引いた。ゴールドハーゲン氏はドイツで有名になったが、チャン女史の作品は、今日に至るまで、日本語で読めない。
用心深い隣国
ドイツの隣国はドイツの意図――特に直接戦争を経験しなかった世代の意図――には用心深いままであるが、大部分は厳しい不信を脱却した。これは、重要な外交政策上の利益をドイツにもたらした。それはベルリンの壁崩壊後の統一模索において同盟国による支援を受け、ゲルハルト・シュローダー首相のもとバルカン半島ならびにヨーロッパ連合の政治において、ますます大きな役割を果たした。同じことは、アジアにおける政治的な主導的地位が遠い夢となっている日本人にはあてはまらない。
ドイツの隣国はドイツの意図――特に直接戦争を経験しなかった世代の意図――には用心深いままであるが、大部分は厳しい不信を脱却した。これは、重要な外交政策上の利益をドイツにもたらした。それはベルリンの壁崩壊後の統一模索において同盟国による支援を受け、ゲルハルト・シュローダー首相のもとバルカン半島ならびにヨーロッパ連合の政治において、ますます大きな役割を果たした。同じことは、アジアにおける政治的な主導的地位が遠い夢となっている日本人にはあてはまらない。
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