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Information Warefare Resources

情報戦とは何か

第9章Sample

サイバー戦
Cyber Warfare

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 情報戦の7つの形態の中で、サイバー戦(Cyberwarfare)――情報テロ、意味攻撃、シミュレーション戦、ギブスン戦を含む広い範疇――は、明らかに扱われることが少ない。現在のところはほとんどフィクションであり、全体として情報戦と程度の差があるからだ。グローバル情報基盤が、これらの形態の戦闘が可能になるような地点に至るには、まだ発展しなければならない。そのようなことを考えるのは、ヴィクトリア朝の時代に空対空戦闘がどうあるべきかを論じるようなものである。そして、基盤はそのような攻撃を可能にするような発展をしないかもしれない。以下のような基盤を形成することの危険、あるいはせいぜい無意味さは、それを示すような機会が与えられるまえにはっきりとわかるだろう。

 

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情報テロ

 テロはしばしば、一見任意の目標に対する無作為な暴力の適用として解釈されるが、テロが効果を持つのは、ひじょうに限定された目標、特に有名な者に対して向けらるときである。ベトナム戦争初期、ベトコンは彼らへの協力を強制するため、特定の村のリーダーにテロを行なった。うまくやれば、脅しは効果がある。それがまれにしか実行されなくても。目標とされた役人は、テロリストに同意することを強制され、その影響力は広がるようにできる。ここで使われる用語として、情報テロは、システムを破壊するのではなく、個人を攻撃するために利用することを目指すコンピューター・ハッキングの下位分類である。

 情報戦は、そのような種類のテロと似ているところがあるだろうか?(注 59) データファイルを攻撃して個人を狙うことは、それらの個人の置かれている環境について一定の前提条件が必要である。狙われた獲物は、本質的に、暴露されるべき自分についてのファイルを公共の場所、または半公共の場所(たとえば、TRWのクレジット・ファイル)に置いていなければならないし、これらのファイルを普通に使う場所のセキュリティが適法あるいは親切であることが必要だ(さもなければ、神経質な人はわずかなデータの痕跡にも心配することだろう)。今日、ファイルは健康、教育、購入品、政治行動(たとえば法廷傍聴)、その他のデータを含んでいる。手で保管されているもの、コンピューター化されているが外部へのアクセス不能なものもあるが、ほとんどは現在、ネットワーク内にある。将来、ファイルは、ネット化されたサービスでのインタラクティブなユーザーの作ったエージェントを含み、そのためにユーザーの好み、嫌いなもの、特に好きなものの信頼できる集計も含んでいるかもしれない(注 60)

59. 元国防総省の情報システム指導者、Paul Strassmannの近刊「情報テロ」(Information Terrorism)は、個人的に向けられた攻撃というよりはハッカー戦についての広い見解を示している。

60. 諜報エージェントはフライト予約に慣れるだろう。たとえばその所有者が、後ろの通路側の座席を好み、接続時間を短くするために、パドルジャンパーをとるよりも車を借りて運転するほうを好むいうことを知っている。


 情報テロを指揮するにあたっての問題は、集めた情報で何をするかを知っていなければならないということだ。たとえば、もし彼らの集めた情報空間が公衆の目にさらされれば、多くの人々が困惑するだろう。しかし、だからといってゆするのによい対象になるわけではない。同様に、ある個人のファイルに誤った記述を入れることによって作られた困った状況は、重大かもしれないが、そのような状況に置かれた人を脅すのは、限られた強制力しか持たない(そのように脅された人物は、既存のデータを文書メディアに繰り返しバックアップして、すべての新規データは認証されていなければならないように要求することで、損害を小さくすることができる)。

 もし情報テロが成功したとしても、汚損される恐怖よりも、ファイルが誤って取り扱われることを許してしまった機関に対する怒りのほうが反応としてはありそうである。コンピューターの体系的な支配が訪れる以前に、テロは、力強い個人の広範囲な汚損をもたらすであろうし、そうなれば、個人ファイルが扱われる方法に関する制限的な(たぶん歓迎される)規則を導くことになろう。

 

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意味攻撃

 意味攻撃とハッカー戦の違いは、ハッカー戦はランダムか体系的に、システムの故障を引き起こし、動作を止めることである。意味攻撃下のシステムは作動するし、正確に作動していると受け取られるだろう(そうでなければ意味攻撃は失敗である)が、回答が真実と違っているのである。

 意味攻撃の可能性は、情報システムのある特徴を前提としている。たとえば、システムは現実世界についての決定を入力するセンサーに依拠しているかもしれない(たとえば、地震の動きを監視する原発システム)。もしセンサーがだませるなら、システムはだまされる(たとえば、存在しない地震があったとして閉鎖される)。故障に対する予防手段があるかもしれない。つまり、人間と機械のあいだで意思決定能力を賢明に配分することを目指したタイプと配分によってセンサーが冗長なものになっているかもしれないのである。

 将来のシステムは、その情報空間から学ぼうとするだろう。健康サーバーは、常に薬と手続きの効果を計算・再計算して、それに基づいて医師が履歴を集めることができるようにするだろう。このシステムに対する意味攻撃は、サーバーに誤ったデータを吹き込む。おそらくは、ある妙薬の効力を割り引いたり、別のものについての誤った注釈を作ることになろう。同様に、金融サーバーは世界の金融取引を監視し、どの金融機関が信用するに足りるかのガイドラインを作るだろう。もし銀行サーバーシステムが銀行家のやるように働くなら、特定の機関への仕事の集中が妥当なものとして機関に与えられ、もし仕事の集中がウソであってその機関がPotempkin貯金とローンだったとしたら、電子データと接続による仕事の集中は、支援する銀行による財産の急速な減少という結果に終わるだろう。このシナリオは、オクラホマ州のペン・スクエア銀行がもっとよく知っている多くの他の銀行を面食らわせることになったシナリオと似ている。サイバースペースでは、詐欺は、人間の監視者が検出するよりずっと早く起こるかもしれない。

 意味攻撃は厄介なものになるだろうか? 今説明したばかりのようなサーバーは、ほとんど存在しない。それが存在するようになる時までには十分な考慮がなされて、デジタル署名のように、ごまかしをはねつけたり、コンピューターは事実と受け取るが人間の目ではおかしいことがわかるようなデータを人の目で見て取り除けるような適切な保護装置が開発されるだろう。

 

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シミュレーション戦

 現実の戦闘は汚く、おもしろくなく、そして、そう、危険だ。シミュレーションされた対立はこれらのいずれでもない。シミュレーションの忠実さが充分であり――毎年それが改善されているなら――その結果は対立の妥当な近似となる。現実のものごとを省き、シミュレーションされた対立にこだわってみてはどうか? 理想主義は置いておき、シミュレーション戦を闘うことは、敵にそれが負けるであろうことを証明できるだろうか?

 シミュレーションを思いとどまらせる要素は、ある意味では、実用よりもデモンストレーション用の兵器のほうが充実した装備をしているという傾向のある拡張だ。おそらく、戦艦がそのいい例だろう。合衆国は第二次世界大戦中よりも多くの核兵器を所有してきたが、結果的に落とされた広島よりも、効果的には東京湾で最初に爆発させることを選んでもよかったのだ。もし、実際には現在使われなくなっていようとも、対立を指揮するのが完全装備の軍よりも一人の英雄を使うということは、聖書や古典の先例としてある。これらの実践とシミュレーション対立の間のギャップは、どちら側も結果を受け入れるとしても、隔たったものとなるだろう。

 あいにく、戦争の現実とシミュレーションの幻影は、相性がよくない。シミュレーションのためにあつらえられた環境は個々の要素で構成されており、そのそれぞれは行動によって特徴づけられるが、相互行動は複雑である。このため、風洞はよいシミュレーションである。将来のかくれんぼ対立において、戦闘の属性を特徴づけることはほとんど不可能である。戦闘の多くは、双方の陣営の、相手陣営をだます能力、何がうまくいき何がうまくいかないかを学ぶ能力、結果を教義に結びつける能力、そして、そうすることによって、ゲームの勝利に勝利を重ねる洗練を行なう能力にかかっている。これらの軍事行動は、正確なシミュレーションには最も従わないものである。

 付け加えるまでもないが、両陣営とも、これらを使いこなすことによって、能力とシステム数と戦略を有しているというありそうもない事態においては、これらのシステムの質を隠したり発見したりすることは正直に表現されるだろうか? 相互シミュレーションには、それぞれのシステムの可能なことについて敵と同意することが必要だ。二つの陣営が、この信頼の注文をできるというのなら、戦争なしに論争して解決することができそうなものだ、と読者は思わないだろうか?

 現在のシミュレーション技術の魅力は、それぞれのオペレーターの視点から戦場をかたどる能力にある。シミュレーションにおいて、オペレーターと複雑なプラットフォームが結びつくことは、オペレーターと複雑なプラットフォームが戦闘の部隊から離れたときにのみ促進される。情報システム、そして超水平線兵器は、いよいよ戦争そのものになっていく。そして、それは巨大な自己シミュレーションシステムなのである。

 ゲームのそれほどこっけいではないヴァージョン――そしてコンピューター・シミュレーションを差し控えているもの――は、現実世界での隠れ、発見するシステムを試しているが、現実の軍需品をヴァーチャルなもの――たとえばレーザータグと同様のもの――に変えてしまうには至らない。私的なウォー・ゲームと国家訓練センターはこれを行なう。記憶にあるいかなる戦争もウォー・ゲームによって置き換えられないということは、シミュレーションがどれほど発展しても、いかなる将来の戦争もそんなものにはならないのではないかという疑いを導くのである。

 

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ギブスン戦

 筆者は、ウィリアム・ギブスン(William Gibson)の「ニューロマンサー(Neuromancer)」(注 61)を読み、さらに悪いことにディズニー映画「トロン」を見たことを白状しておく。どちらも、主人公と悪役は巨大なシステム内に住むヴァーチャル・キャラクターに変換させられ、もし独善的でなければ同様にヴァーチャルな他の人とそこで決闘するのである。主人公と悪役がこのシステム内でやったこと、さらに指摘するなら、彼らがそもそもそこで闘うことができるようなネットワークを作ろうと誰かが思ったのはなぜかということは、明らかにされない。

61. (N.Y.: Ace Science Fiction, 1984).


 なぜギブスンの小説と、ディズニー映画を取り上げたのか? まともな分析家が情報戦に何を含めるかの選択――ハッカー戦や、心理戦の難解なバージョンなど――を判定するために、この定義に何を含めることができるかという範囲は現実に限定しづらいからである。

 インターネットとその類似品は、現実世界の棒と石のバーチャルな等価物を生み出した。女性は、ヴァーチャル・ストーカーとセクシャル・ハラスメントについて苦情を言っている。グローバル村のデッチアゲ戦争は、それがとって代わった村のゴシップと同じくらい熾烈であり、おそらくは同じくらいに激しいものである。まもなく到来するエージェント技術で、ユーザーはネット内に虚像を送り出せるようにする。それは主人の望むものと必要とするもので武装し、制限条件を作り、道具を持ち、財産を持ち、そして仕事にっよって、執行可能な契約のための言葉を話し合うのである。話し合う言葉を使えるエージェントを、話し合う概念を使えるために議論している別のエージェントと切り離す概念的距離は何だろうか? 議論について話し合うことをエージェントにさせないものは何か? 議論は、同盟者の助けを必要とするだろう。その同盟者はおそらくネットをさまよっており、最高のカリブでの休暇を予約することにかかずらわっているのだが、生意気な会話にかかわることで使えるようになる予備の帯域幅も持っている。そんなとき、同盟は他の側で組み立てられるかもしれない。もちろん、同盟と敵のにらみ合いは対立と等しく、おそらく結果に依存する商品とサービスの処置とも等しいだろう。したがって、議論の発信者がさっさと寝ている間にさえ、情報戦を装った戦争が起こる。

 これは可能なのか? 実際、可能だ。国家安全保障に絡んでいるか? すぐには絡まない。

 

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