それは戦争か?
どのような状況で、国家は情報経済戦に無防備になるのだろうか? 情報を封鎖する人々は、情報資源の充分に大きな割合を統制し、そして反転してきた圧力に対して自分たちがかなり無傷でいられる場合にのみ実行できる。この点で、合衆国だけが比較的有利である。
経済戦と比較するのは賢明だ。経済戦の有効性は、目標国の貿易依存度(あるいは、貿易の不意の遮断が示す分離の規模)によって決まる。食糧を必要とする国(たとえば英国)、原料を必要とする国(たとえば日本)、特殊な資源を売ることで生きている国(たとえばイラク)は、経済戦に無防備である。イデオロギー的理由、あるいは地政学的理由が貿易を差し控えることができる国々(たとえば旧ソ連邦)は、影響しづらい。経済成長にはグローバルな経済への積極的な参加を必要とする、ということが固く信じられている。その経済を世界の残りと統合し始めたばかりの国家は、封鎖を、支出が減るというより機会が失われるものと見なすだろう。どちらも危険を冒すことを意味しているのだが。
情報封鎖は経済封鎖と同じような力を持つため、目標国は外部の情報の流れに依存している必要があるが、情報の交換は貿易のただ一つの構成要素にすぎない(注56)。電子情報交換へのアクセスを失った国家も、貿易を扱えないようにはされていないかもしれない。たとえばイラクは、まだ石油を売ることができるかもしれない。主要商品取引所へのリアルタイムのアクセスや、用法パターンのデータベースに信号を送る能力がなくても、目標国は多少苦労すれば自分に最も有利な契約書を書くことができるかもしれない――しかし、それははるかに低い損害となるだろう。
56. いくつかの情報の流れ(たとえば、テレビ、ラジオ放送、電話会話)は、娯楽の大きな要素でもある。これを切断することは士気を損なわせるかもしれないが、戦争の努力から大きな混乱を取り除いてしまうかもしれない。娯楽を輸入させないことは、住民から地元以外の選択肢を奪い、そのために狂信的で身びいきな文化・政治的影響にさらすことになる。
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逆に言えば、依存が起こるのは、情報輸出よりも情報輸入からかもしれない。コンピューター、通信、シミュレーションの成長は、サービス、特に専門サービスをネット上で提供する魅力が成長することを示唆している。カーボン・ベース(紙上)とシリコン・ベース(電脳上)のコンサルタントはどちらも、農家に作物状況をアドバイスしたり、複雑な機械や工場システムの故障を究明したり、グローバルな商業・金融の大群を導いたり、外科手術の手続きを準備したり、教育システムを供給したりさえもできるだろう。このような帯域幅に依存した応用技術は、特に封鎖に弱い。
対立の多くの形態として、脅しは行動より効果的かもしれない。より大きな情報交際(たとえば産業誘致)を求めている国家は、情報空間への参加に対する不適当な行動のリスクに敏感である。しかし、リスクが仕事に値するか否かを決定する国家は、情報戦が開始されたという言葉を使いそうではない。結局、社会はテレビの前で機能するということである。
情報の流れに国家はどれほど依存するようになるだろうか? 数カ国、フィリピンとカリブ諸国のいくつかは、ローテクの情報輸出部門(たとえばクレジットカード実行)を有している。野心的な国でも、商品・サービスを販売してくる競合ベースとしての地位と結びつけられた彼らの繁栄を見て、潜在的な投資者に躊躇させるような情報封鎖を引き起こすような危険を冒すだろうか?
もし情報戦の脅威が存在するなら、ほとんどの国は、自国がそんなに無防備なままにしておかないだろう。しかし、平和な状況では、封鎖の見込みは遠い将来の話かもしれない。グローバルな情報リンクへの依存度は増大するだろう。そうなれば、敵対する意志のある指導者は、指導部が敵対行為をもし仮に行なったときの報復に対してそのような依存が無防備であるままであるということに気づかないかもしれない。
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