-

Information Warefare Resources

情報戦とは何か

第8章Sample

経済情報戦
Economic Information Warfare

-

Sample

 

 情報戦と経済戦の結びつきは二つの形を取ることができる。情報封鎖と情報帝国主義である。

 

-

Sample

 

情報封鎖

 情報封鎖の有効性は、社会の幸福が現在は物質的供給の流れによって影響されるように、情報の流れによって影響される時代を想定する。国家は、外部のデータへの他者のアクセス(と、ある程度は、データ・サービス輸出によって通貨を得る能力)を制限する。アクセスを切り離すことによって、これらの国家の経済は損なわれ、足元にひざまずかせることになる。

 少なくともこれからの10年間、合衆国は自らが情報封鎖の犠牲者となるより、それを準備するほうになりそうだ。我々の悪しき敵がやるより、世界各国と結合するほうがありそうだ。それだけではなく、さらに、最もよい関係があるだろうし、このため、(いうまでもなく経済的に最も自給自足的である)情報の流れからの切り離しは最も難しいことになるし、それはまた情報の自然な輸出者でもある。

 情報封鎖の分析は、情報戦の他の形態と同じ質問を呈することになる。それは現実的なのか? それは戦争なのか? 合衆国はほんとうに情報を封鎖できるのか、もしできるのなら、他の国々の行動に大きな違いをもたらすことになるのか?

 

-

Sample

 

それは現実的か?

 情報封鎖は、経済封鎖の変形として理解できる。商品取引を停止することは、生産の流れを混乱させることによって、長期的には海外貿易の利益を取り除くことによって、ある国の福利に影響しうる。情報封鎖は、対象国を闇の中で働かせることによって、長期的には情報交換の利益を取り除くことによって、同様に作用する。また、封鎖された国が心理戦に携わる能力も制限される。

 物流を封鎖することなく、国家の情報の流れを封鎖することは、商業のほんの一つの大きな通り、電子工学的な流れをふさぐだけである。もし物流がそのまま残るなら、印刷された(たとえば技術マニュアル)ものも手にはいるし、さらに大きなデータベースもCD-ROMで取得できる。情報封鎖はリアルタイムの相互作用を中断し、非常に巨大な情報の流れ(たとえば、生の衛星画像)へのアクセスを制限することになるだろう。それは、国の物資供給を妨げるのと比べて、簡単でもあり、難しくもある。物理的対決の機会は少なく(たとえば、疑わしい船に航海中に乗り込むのと比べればいい)、暴力度も少ない。大部分で、情報の導管は数えることができる(日和見的密輸者が国境の長さ全体から侵入できるのと比較せよ)。

 電子的データの流れはどれほどうまく切断できるだろうか? 導線や接続といった物理的リンクは国境、水中、最も近いスイッチで切断できる。第一次大戦中、英国はドイツと合衆国のケーブル・リンクを断絶させた。地球上の無線電子的接続は、最も近い送信機(たとえばマイクロ波タワー)で黙らせたり、選択的妨害で黙らせることができる。宇宙ベースの通信は、問題が大きい。静止軌道衛星にアップロードされているすべての資料が送信を止めたとしても(ほとんどは、電話会社やメディアサービスなどの機構である)、直接放送衛星などのサービスはほとんどふさぐことができない。自由チャンネルはただ放射する。登録制チャンネル(明日のデジタル・ビジネスの流れを運ぶ)のクラックに関して、利益があって刑罰がないことは、おそらく合衆国におけるビデオ海賊行為が示しているように、多くの人が試そうとする動機になるだろう。

 人対人のリンク(たとえばイリジウム計画=衛星携帯電話事業、インマルサット=国際海事衛星機構)を除去することは、通信が切断された外側の人々の努力と混同されるかもしれない。第三者は、国内のユーザーに支払うためのグローバルなネットワークのアカウントを開設できた。衛星が、信号がどこに行くかを知ることはほとんど不可能であり、信号がどこから来るかを決定するのはもっと難しい。暗号化は、誰が誰と話しているかを隠すだろう。

 

-

Sample

 

それは戦争か?

 どのような状況で、国家は情報経済戦に無防備になるのだろうか? 情報を封鎖する人々は、情報資源の充分に大きな割合を統制し、そして反転してきた圧力に対して自分たちがかなり無傷でいられる場合にのみ実行できる。この点で、合衆国だけが比較的有利である。

 経済戦と比較するのは賢明だ。経済戦の有効性は、目標国の貿易依存度(あるいは、貿易の不意の遮断が示す分離の規模)によって決まる。食糧を必要とする国(たとえば英国)、原料を必要とする国(たとえば日本)、特殊な資源を売ることで生きている国(たとえばイラク)は、経済戦に無防備である。イデオロギー的理由、あるいは地政学的理由が貿易を差し控えることができる国々(たとえば旧ソ連邦)は、影響しづらい。経済成長にはグローバルな経済への積極的な参加を必要とする、ということが固く信じられている。その経済を世界の残りと統合し始めたばかりの国家は、封鎖を、支出が減るというより機会が失われるものと見なすだろう。どちらも危険を冒すことを意味しているのだが。

 情報封鎖は経済封鎖と同じような力を持つため、目標国は外部の情報の流れに依存している必要があるが、情報の交換は貿易のただ一つの構成要素にすぎない(注56)。電子情報交換へのアクセスを失った国家も、貿易を扱えないようにはされていないかもしれない。たとえばイラクは、まだ石油を売ることができるかもしれない。主要商品取引所へのリアルタイムのアクセスや、用法パターンのデータベースに信号を送る能力がなくても、目標国は多少苦労すれば自分に最も有利な契約書を書くことができるかもしれない――しかし、それははるかに低い損害となるだろう。

56. いくつかの情報の流れ(たとえば、テレビ、ラジオ放送、電話会話)は、娯楽の大きな要素でもある。これを切断することは士気を損なわせるかもしれないが、戦争の努力から大きな混乱を取り除いてしまうかもしれない。娯楽を輸入させないことは、住民から地元以外の選択肢を奪い、そのために狂信的で身びいきな文化・政治的影響にさらすことになる。


 逆に言えば、依存が起こるのは、情報輸出よりも情報輸入からかもしれない。コンピューター、通信、シミュレーションの成長は、サービス、特に専門サービスをネット上で提供する魅力が成長することを示唆している。カーボン・ベース(紙上)とシリコン・ベース(電脳上)のコンサルタントはどちらも、農家に作物状況をアドバイスしたり、複雑な機械や工場システムの故障を究明したり、グローバルな商業・金融の大群を導いたり、外科手術の手続きを準備したり、教育システムを供給したりさえもできるだろう。このような帯域幅に依存した応用技術は、特に封鎖に弱い。

 対立の多くの形態として、脅しは行動より効果的かもしれない。より大きな情報交際(たとえば産業誘致)を求めている国家は、情報空間への参加に対する不適当な行動のリスクに敏感である。しかし、リスクが仕事に値するか否かを決定する国家は、情報戦が開始されたという言葉を使いそうではない。結局、社会はテレビの前で機能するということである。

 情報の流れに国家はどれほど依存するようになるだろうか? 数カ国、フィリピンとカリブ諸国のいくつかは、ローテクの情報輸出部門(たとえばクレジットカード実行)を有している。野心的な国でも、商品・サービスを販売してくる競合ベースとしての地位と結びつけられた彼らの繁栄を見て、潜在的な投資者に躊躇させるような情報封鎖を引き起こすような危険を冒すだろうか?

 もし情報戦の脅威が存在するなら、ほとんどの国は、自国がそんなに無防備なままにしておかないだろう。しかし、平和な状況では、封鎖の見込みは遠い将来の話かもしれない。グローバルな情報リンクへの依存度は増大するだろう。そうなれば、敵対する意志のある指導者は、指導部が敵対行為をもし仮に行なったときの報復に対してそのような依存が無防備であるままであるということに気づかないかもしれない。

 

-

Sample

 

情報帝国主義

 現代の情報帝国主義を信じることは、現代の経済帝国主義を信じることである。つまり、貿易は戦争である、と。国家は他の国家と、戦略的経済産業を支配するために闘う。

 情報はこの文脈でどのような役割を果たすか? 因果関係の複雑な連鎖を一段落で公正に扱うことは難しいが(注57)、論理的には以下のようになる。国家は一定の産業を専門化する。いくつかの産業は他のものよりよい。よい産業は高い投資を受け、そしてふつう、高い成長率が示される。それは知識集中の傾向がある。他の国家、特に低賃金の労働力を持つ国家が簡単には競合できないような技能を要求・強化する。これらの産業における地位を獲得し、維持することは、さらにプロセスを強化することになる。シリコン・バレーを見よ。そこで働く利点は、顧客、供給者、そして電子工学に練達した労働者へのアクセスが簡単であることである。特に情報の恒常的な交換、特に技術的な質問と情報源に対するすばやいアクセスは、その地域が問題の次のラウンドでも同様の有利さを得ることができるという可能性をどんどん増大させ、利益のある解決法をぎりぎりで間に合わせることになる。国家政策は、独善的なサイクルを強化するかもしれない。日本の自動車業者は、合衆国のプラント輸出(たとえばケンタッキー州ジョージタウンのトヨタ)は、友人に興味深い仕事を与え、他の者にはつまらない仕事を与えた、と告発された。日本の業者は、ある商品が海外に出される一年か二年前に、同じ商品を国内の買い手に提供するといわれている。合衆国の企業は、供給者または買い手としての機会についてのこれらのネットワークを叩くのは時間的に難しい。政府が目標した獲得方針(たとえば、有利で研究集中的な防御の縮小)は、特定の部門を促すのに同様の効果があるかもしれない。

57. M.C. Libicki, "What Makes Industries Strategic" (Washington, D.C.: National Defense University, McNair Paper No. 5, November 1989)参照。この本でこの論理を展開している。


 これは戦争なのか? 文化闘争(kulturkampf)になぞらえるのがここでは有益かもしれない。合衆国は、他の文化を破壊するという観点で映画やポップ・ファッションを輸出しているのではない。それは相対的な利益であって、商品とサービスの市場をとおして広がることを望んでいるものである。日本は同様に、世界の残りの国々が劣悪で依存的な技術的地位に置かれることを望んでいるのではないと言うだろう。彼らは単に、輸入に見合った代金を支払ってもらうことだけを望んでおり、そして、一定のハイテク製品において比較的有利なのだと信じているのである。国対国の競争として特徴づけられる貿易が、多国籍企業の時代にも意味があるのかということは、未決の問題である。合衆国とヨーロッパでの大製造業の多く(注58)は、国の特徴を急速に失いつつある――そして、どんな場合でも、それはグローバル的な構成要素となっている。日本その他のアジア企業は、特に国家的なままだが、それらも同じ方向に向かっているのだ。

58. 重要な例外としては、鉄と軍事物資がある。


 

-

Sample

 
back Contents next

-

Sample
Designed by Ishihara Mitsumasa / 石原光将