対頭(antihead)
司令官の頭を狙撃することは、戦いの古い様相である。捕らえた敵の王に実行した古代から、船上の狙撃手に撃たれたネルソン提督の死、南北戦争で敵対する将軍に対して射撃の名人を雇ったこと、第2次世界大戦中の山本五十六提督撃墜、戦略核目標理論、湾岸戦争中にサダム・フセインを捜し、ソマリアではモハメド・アイディードを探そうとしたことなど、例は多い。新しいのは、司令官への近づきやすさが変化し続けていることである。指揮の効果のために、司令官が戦闘の範囲の近くで監督・残留することが求められてきた。第一次大戦で、有線通信のおかげで司令官は敵の兵器の届く範囲の外で行動できるようになった。その後、飛行機とミサイルが、司令官を再び目標ゾーンに取り込んだ。
司令官の物理的な位置より重要なのは、司令官から指揮センターに変ったことである。今日の指揮センターは、豊富な可視通信とコンピュータ処理装置(と関連する電磁波発信機)、紙その他の公用品の物理的移動、そして軍事的任務の他の集合地からこれらのセンターを分離するためのあらゆる種類の行き来によって特徴づけられる。
指揮センターへの攻撃は、特に正確に調節されるなら、高位の敵司令官に命中せずとも、作戦のためには破壊的であると証明できる。一点弱点の不利は知られているにもかかわらず、連絡のほとんどのやりとりは、非常に狭い空間内で流れる傾向がある。すべての人の状況認識に調和させるようにデータを分割して分配するためには、中心的中央集約か、現代に伝えられたシステムの大きな再設計が必要だ。指揮センターの場所を決定することで、ピチピチした目標が射程内に来ること――めったに訪れない機会――が可能になる。正確に調節された攻撃は、破壊の直接的効果以上に、作戦を混乱させ、散らすことができる。
指揮センターを攻撃する方法は、鉄製爆弾だけではない。システムを不能にするには、電源を切ること、信頼できないようにするのに充分な電磁的干渉を導入すること、コンピューター・ウィルスを流すことによってもできるが、これらの手段はどれも、目標を鉄の爆弾で狙うのに比べて確実性がなく、費用効率も悪い。ソフト・キル兵器の多くは、敵の場所を知る必要がある。それらのいくつかは従来の軍需品よりも有効範囲が広いものの、違いは限られており、点火前に発見することが同様に必須であることは依然として同じだ。
指揮センターはいつまで見え続けるだろうか? 燃料積み込みは本部を保護できるが、燃費がかかる(そして、新しく完成した貫通砲のおかげで、深く、かなり動きづらい燃料庫が必要となっている)。指揮センターの署名の統制はよりよい戦略だろう。コンピューターはデスクトップまで小さくできるし、通信装置からの漏洩は電子的攪乱(計画的なものも、周辺的なものも)によって隠すか、あるいは司令部からの延長ケーブルや目に見える接続によって減らせるし、また紙は(いつか)おそらく光学機器によってペーパーレス社会を強いられることになるだろう。ネットワークは一般に分権的かもしれない(注8)。重大な目標を作り上げるための往来や集会は、テレビ会議やホワイトボードで減らすことができる(注9)。電力供給は、燃料搭載発電機か、もっと利口に、太陽発電装置によって補うことができる(その存在が指揮センターの場所をばらしてしまわないように、分散させるべきだ)。これらの手段によって、指揮センターは別の居住空間と区別がつかないようにしておける。この結果、破れた敵が打たれて傷つく度合いは、バックアップ体制(たとえば、どの連結がどの情報を供給し、どの情報が戦場での決定に使われているか)によって決まる。
8.物理的(弱い)とバーチャル(強い)の分散化は異なったものである。物理的分散化は、集中化された情報施設を固定させているが、メモリーと処理を分散・複製することによってシステムを守っている。バーチャル分散化は、それ自体に作用する能力を持っている子機を作るが、その決定の質を高めるためにセンターとの調整を使う。
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9.ホワイトボード(Whiteboarding)とは、ある一人のスクリーンに置かれたものが別の人のスクリーンに現われるようにするネットワーク・アプリケーションである。
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拡散には時間がかかる。再構築には時間と金がかかり、指揮の難しさを深める。拡散が必要だとか、与えられた拡散レベルが攻撃に対して充分だろうとか司令官に納得させるには、提案者は、理屈で説くより、現実の実演をしなければならないかもしれない。しかし、変化は結局のところ、どこでも起こるだろう。他国の軍がいかに早く変化するかは、雑多な文化的要因だけでなく、技術的精巧さ、現在の指揮センターが無防備だと感じている度合い、個人的接触やシリコンのけばけばしいディスプレイにおいてどんな権威を与えるかということに依拠しているのである。長い目で見れば、敵の指揮センターを無力化できうるという仮定に戦略の基礎を置いている戦争計画者は愚かだということにもなりかねない。
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