------------------
三十六計
第二組 敵戦の計
------------------

第七計
【無中生有】

(むちゅうしょうゆう)

ないものからあるものを生み出す。老子「天下万物生于有、有生于無」(天下の万物は有から生まれ、有は無から生まれる)→ないものをあるように見せかけて、相手の判断を狂わせる。

誑也。非誑也。実其所誑也。少陰、太陰、太陽。

あざむく。それがあざむきではなくなり、あざむいた形を実と見せることになる。あざむきを大きなあざむきにすれば、大きな実となる(『霊棋経』発蒙卦)。

ないものをあるように見せるのがあざむきである。あざむきは久しからずして悟られやすいから、無をそのまま無にしておいてはならない。無の中に有を生じさせること、これがあざむきから真実にし、虚から実にするということだ。無をもって敵を破ることはできないが、有を生ずれば敵を破ることができる。

唐代、令狐潮(安禄山の将軍)が雍丘を包囲したとき、防衛側の将である張巡は、藁を縛って人形を1000体以上作り、黒い服を着せて夜、城下に下ろさせた。潮の兵は争ってこれを射、数十万の矢を手に入れることができた。その後、また夜に人を下ろした。潮の兵は笑って準備をしなかった。そこで決死隊500人で潮の陣営を撃ち、陣地を焼き、数十里も追撃した。

第八計
【暗渡陳倉】

(あんとちんそう)

ひそかに陳倉に渡る。行動を隠して前進し、要点を先取する。もともと「明修桟道、暗渡陳倉」の成句。陳倉は劉邦軍の韓信が項羽を攻めた場所。桟道を修復させておいてそちらに注意を引きつけておき、旧道から迂回して軍を進め、陳倉から攻め込んだ。史記・淮陰侯列伝より。現代中国語では男女の密会を指す。

示之以動、利其静而有主。益動而巽。 陽動作戦と見せかけ、静かに別の場所に不意打ちをかける。利益は機動によって得られる(『易経』益卦)。

奇襲は正攻法から出る。正攻法なければ奇襲をすることはできない。明らかに桟道を修理しなければ、ひそかに陳倉に渡ことはできなかった。

三国時代、魏のケ艾が白水の北に駐屯し、蜀の姜維は廖化を白水の南に駐屯させた。ケ艾は諸将に言った。「姜維の軍が急にやってきたが、我が軍は少ない。兵法で言えば、敵は渡ってくるはずで、橋など作らないだろう。しかし、姜維は廖化を差し向けて我々を牽制し、帰路を断たせておいて、自分は東に向かって[シ兆]城を襲うつもりだ」

ケ艾は夜になって軍を潜め、遠回りして[シ兆]城に向かった。予想どおり姜維が渡ってきた。しかし、ケ艾は先に到着して城にこもっていたので、敗れなかった。これは姜維が暗渡陳倉の計を用いるのに失敗し、ケ艾が声東撃西の謀略を素早く見破ったということである。


第九計
【隔岸観火】

(かくがんかんか)

岸を隔てて火事を見る。敵が内紛しているなら、相手の自滅をじっと待つ。

陽乖序乱、陰以待逆。暴戻恣[目隹]、其勢自斃。順以動予、予順以動。 敵が内部で分離し序列が乱れたら、静観して異変を待つ。荒々しく、憎しみ、反目から、その勢力は自滅する。敵情の変化に順応して準備すれば、機に乗ずることができる(『易経』予卦)。

敵が味方同士反目しあっているときに近づけば反撃を受ける。離れて遠くから見ていれば、内乱が勝手に起こる。

三国時代、袁尚・袁煕が遼東に逃げたが、まだ数千騎あった。はじめ、遼東太守公孫康は遠いからといって曹操に服属しなかった。曹操が烏丸を破ったとき、ある人が曹操に、直ちに公孫を征服すれば尚兄弟をとらえることができる、と説いた。曹操は「俺は今、公孫康に尚・煕の首を斬って送ってこさせようとしているのだ。わざわざ兵を使わなくてもいい」と言った。

9月、曹操は兵を率いて柳城から帰った。康はすぐに尚・煕を斬り、その首を送ってきた。諸将がなぜかと問うので、曹操は「彼はもともと尚らをおそれていた。俺が急ぎすぎれば、彼らは力を合わせてしまうだろう。だが、圧力をゆるめれば、仲間割れをする。これが自然な流れだ」と言った。

ある人が言うには、これは孫子の兵法の火攻編の道であるという。なるほど、火攻編は前段に火攻の方法を述べ、後段で軽挙を慎むことを述べている。確かに、岸を隔てて火を見るという意味と合っている。


第十計
【笑裏蔵刀】

(しょうりぞうとう)

表面はにこやかだが、心は陰険な人物を指す成語。笑顔で相手を油断させつつ、相手が警戒を緩めたところで攻撃する。

信而安之、陰以図之。備而後動、勿使有変。剛中柔外也。 信頼を示して相手を安心させ、ひそかにはかりごとをする。備えた後に動き、変であると思わせないようにする。内では厳しく、表面は親しくするのである。

孫子の兵法にこうある。「敵の腰が低くて準備を進めているのは、攻めてこようとしているのである。……具体的な約束もなく和平を請うてくるのは、陰謀があるのである」(孫子・行軍)。つまり、敵の巧言令色は、すべて攻めてこようという意図の発露である。

宋代、曹(武穆)[王韋]は渭州の知事であったとき、号令は明らかで厳粛、西夏人は非常におそれていた。ある日、諸将を集めて宴会を開いているとき、たまたま数千人の反乱兵が西夏国境に逃げていった。辺境偵察の騎馬が報告したとき、諸将は顔を見合わせて顔色を失ったが、曹[王韋]はいつものように談笑していた。のんびりと騎兵に言うには「私の命令なのだから、君は騒がなくていい」。西夏人はこれを聞いて、実は彼らを用いて襲おうとしているのだと考え、逃走兵たちを皆殺しにした。

これは臨機応変の使い方である。越王勾践が呉王夫差に屈服し、のちにそれを逆転したのも、警戒心を解いておいたということである。


第十一計
【李代桃橿】

(りだいとうきょう)

スモモが桃の代わりに倒れる。苦難を共にする友人や兄弟が、一方の身代わりになる。古楽府『鶏鳴』より――桃が井戸のほとりに育った/スモモが桃の横に育った/虫が来て桃の根を食らった/スモモが桃に代わって倒れた/樹木ですら身代わりになる/兄弟がどうして忘れようか。→皮を斬らせて肉を斬り、肉を斬らせて骨を斬る。

勢必有損、損陰以益陽。 戦いの勢いには必ず損害が出てしまうことがある。そのときは損害と引き替えに大きな利益を勝ち取ればいい。
自軍と敵との状況には、それぞれ長短がある。戦争では全勝は得がたいものだ。そして、勝負が決まるのは、長短をお互いに比べるところにある。長短を比べるとき、劣る側が優れた側に勝つ方法があるのだ。下等の馬を敵の上等の馬に当たらせ(負け)、上等の馬を敵の中等の馬に当たらせ(勝ち)、中等の馬を敵の下等の馬に当たらせる(勝ち)といったようなことは、まさに兵家独特の謀略であって、ふつうに考えつくものではない。

第十二計
【順手牽羊】

(じゅんしゅけんよう)

手のついでに羊もひく。隙を見て、なにげなく人のものを盗み取る。羊泥棒がなじられて「道に縄が落ちていたからそれを拾ったら、羊がついてきただけだ」と言った、という笑い話。俗な成語(『水滸伝』)。

微隙在所必乗。微利在所必得。少陰、少陽。 少しの隙があっても必ず乗じる。少しの利益でもあるなら必ず手に入れる。小さな敵の不手際から小さな勝利を手に入れる。
大軍が動くところには、盲点が非常に多い。この隙に乗じて利益を取ろうとすれば、必ずしも戦闘する必要がない。勝者も使えるが、敗者も使える戦法である。


by ISHIHARA Mitsumasa 石原光将