------------------
三十六計
第一組 勝戦の計
------------------

第一計
【瞞天過海】
(まんてんかかい)

白昼公然、天をあざむいて海を渡る。皇帝をだまして無事に海を渡らせる。「永楽大典・薛仁貴征遼事略」より。

備周則意怠、常見則不疑。陰在陽之内、不在陽之対。太陽、太陰。

備えが周到であれば意識がたるむ。いつも見ていることは疑わない。陰(秘密の計略)は陽(公然)の内にあるのであって、陽と対立するのではない。太陽(きわめて公然なもの)は太陰(きわめて秘密)となる。

陰謀作為は、外れた時や秘密の場所で遂行してはならない。夜半に盗み、へんぴなところで人を殺すのは愚俗の行いであって、謀士がやることではない。

昔(三国時代)孔融が包囲され、太史慈が包囲を突破して救援を求めようとした。そこで鞭と弓を持ち、的を一つずつ持たせた騎兵二騎を従え、門を開いて出たところ、包囲の内外で見ていた者はみな驚いた。太史慈は馬を引いて城下の塹壕の中に入り、持っていた的を立てて射た。射終わると、戻った。次の日もまた同様であった。包囲側は、立って見ていたり、寝たままだったりした。その後も同様にすると、もう起きてくる者もいなくなった。太史時は馬をむち打っていきなり包囲を突破した。敵が気づいたときには、もはや数里も遠くに行った後だった。

第二計
【囲魏救趙】

(いぎきゅうちょう)

趙が魏に攻められているとき、斉は直接趙を救援するのではなく、魏の首都を包囲することによって攻撃をやめさせた。史記・孫子呉起列伝

共敵不如分敵。敵陽不如敵陰。

敵を集中させるより、敵を分散させるほうがよい。敵と正面からぶつかるより、敵の策略に当たるほうがよい。

兵を治めるのは水を治めるようなものだ。精鋭に対しては、水の流れを導くようにその鉾先をかわして避ける。弱敵に対しては、堤を築いて流れをふさぐように、相手の弱点をふさいでしまう。斉の国が趙の国を救ったときのようにするのだ。このとき、軍師の孫ピンは将の田忌にこう言った。「からまった糸を解くときにはむりに引っ張らない。闘いから救おうとするなら直接加わってはいけない。要所を突き、虚を突いて、形勢を崩してやれば、おのずから解けていくものだ」

第三計
【借刀殺人】

(しゃくとうさつじん)

刀を借りて人を殺す。自分は直接手を下さず、第三者に敵を攻撃させる。俗語(『紅楼夢』)

敵已明、友未定、引友殺敵、不自出力、以損推演。

敵がすでに行動を起こしていて、友軍がまだ態度を決めていないなら、友軍を引っ張って敵を殺させ、自ら力を出さない。これが易経・損卦の「下を損して上を益す」である(損卦がひっくり返ると益卦に変わる)。

敵対状況はすでにはっきりとしており、しかも別の一勢力が発展しつつある。この勢力の力を借りて敵を倒させるべきだ。孔子の弟子の子貢が魯国を防衛し、斉国を乱し、呉国を破り、晋国を強大にしたようにするのである。

第四計
【以逸待労】

(いいつたいろう)

兵を休ませ、敵を疲労させてから攻撃する。孫子・軍争篇、百戦奇略・致戦。

困敵之勢、不以戦、損剛益柔。

敵の勢いを削ぐためには、戦わなくてもいい。強敵を疲れさせれば、弱者の利益となる(『易』損卦――今盛んな攻撃側も、疲れやすく、敗北の要素を持っている。今劣っている防衛側は、かえって勝利の要素を持っている)。

これすなわち敵を術にはめる方法である。『孫子』にはこうある。「先に戦地に着いて敵を待つ者は楽であり、遅れて戦地に至って戦いに臨む者は苦労する。そのため、戦いのうまい者は、人をはめるのであって、はめられはしない」

孫子が論じているのは、勢いについてである。つまり、土地を選んで敵を待つということではなくて、少数で多数を牽制し、不変をもって変に応じ、小変をもって大変に応じ、不動をもって動に応じ、小動をもって大動に応じ、主導権を握って周囲の情勢に応じるところにある。

第五計
【趁火打劫】

(ちんかだきょう)

火事場泥棒。敵が弱体化しているときには一気に追撃する。俗語(『警世通言』)

敵之害大、就勢取利。剛決柔也。

敵の不利益が大きければ、勢いに乗じて利益を取る。これは強者が弱者を倒すものである(『易』夬卦――強者が力押しすれば弱者は従うしかない)。

敵に内憂があれば、領土をかすめ取る。敵に外患があれば、その民を奪い取る。敵に内憂外患がどちらもあれば、その国を併合する。

第六計
【声東撃西】

(せいとうげきせい)

東を攻めるように見せかけて西を攻める。陽動作戦。淮南子・兵略訓(傭兵の道は、的に対しては弱小のようにみせかけておいて、堅強な軍事力で迎え撃つこと。領土を拡げようとするなら、まず縮小するようにみせかけること。西に向かおうとするなら、まず東へ向かうふりをすること)

敵志乱萃、不虞、坤下兌上之象。利其不自主而取之。

敵の指揮が乱れ、考えて対処することができないのは、「坤下兌上」の象である(『易』萃卦――沢は水がとどまっている。沢の上に地があるなら、決壊のおそれがある)。統制がとれていないのに乗じて勝ちを取る。

前漢の景帝のとき、呉楚七国の乱が起こったが、漢の将軍の周亜夫は城壁を守って打って出なかった。呉兵が城壁の東南を攻めようとする動きを示したとき、亜夫は西北を備えさせた。呉王の精兵は亜夫の考えたとおり西北を攻めたが、ついに入ることができなかった。これは敵の意志に乱されず、よく自主的に考えられたからである。

漢末、朱雋が黄巾軍を宛城に包囲した。土山を作って城内を見下ろし、太鼓を鳴らして西南を攻めさせた。黄巾はあわてて西南防御に向かう。雋は自ら精兵五千を率いて東北を襲い、城側の虚に乗じて入城した。これは敵の指揮が乱れ、対応できなかったからである。

ということで、声東撃西の策は、敵の指揮が乱れているかどうかで決めるべきだ。乱れていれば勝ち、乱れていなければこちらが敗れる。これは冒険的な策略だ。


by ISHIHARA Mitsumasa 石原光将