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化学兵器概観

マスタード剤
――硫黄と窒素のマスタード剤の概観


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マスタード剤

情報源:化学兵器に関するFOA要旨説明本

マスタード剤は通常、これらの物質によって日焼けと水ぶくれに似た症状を起こす類似性から「糜爛(びらん)剤」に分類される。しかし、マスタード剤は目、呼吸器系、内部器官にもひどい損害を起こすので、なるべく「糜爛(水ぶくれ)・組織傷害剤」と描写すべきであろう。標準的なマスタード剤bis-(2-chloroethyl)sulphideは、多数の生物分子に反応する。マスタード剤の効果は遅く、最初の症状は曝露後2〜24時間後まで存在しない。

マスタード剤は1822年に初めて作り出されたが、その有害な効果は1860年まで発見されなかった。マスタード剤が最初にCW剤として使われたのは第一次世界大戦の後期であり、極めて多数の軍人に肺と目の損傷をもたらした。彼らの多くは、曝露後30〜40年後にもまだ苦しんだが、それは主に目と慢性呼吸器障害の結果だった。

第二次世界大戦の終わりに到るまで、多数の軍人と船員がイタリアのバーリ港に対するドイツ攻撃によって傷ついていた。マスタード剤弾薬を装填された貨物船が襲撃され、大量のマスタード剤が水に混ざった。犠牲者は、汚された水中を泳ぎ回ったが、多数の人々がマスタード剤によって傷つけられていたことが気づかれたのは遅すぎた。バーリ事件は、マスタード剤の遅い効果の不気味な具体例となった。

1979年〜88年のイラン・イラク戦争の間に、イラクは大量の化学剤を使った。約5000人のイラン軍人が殺されたと報告されているが、10〜20%はマスタード剤によるという。加えて、40000人から50000が傷ついていた。マスタード剤を使った戦争の典型的な結果として、長期的で厳しい治療を必要とする多数の負傷者のための医療システムが必要となった。

マスタード剤のために治療されたイラン軍人の1人が、スウェーデンの病院で苦しんでいた。大規模なけがは数週間前のもので、それは今治り始めている。

マスタード剤で傷つく危険の高いスウェーデン近辺では、まだ毎年事件が起こっている。これは主に、漁網によって表面に運ばれてきたマスタード剤にさらされる漁師である。その背景には、デンマーク・スウェーデン沖の領海に、第二次世界大戦後、化学兵器が破棄されたことがある。南スウェーデンとデンマークの多くの漁港はマスタード剤によって傷ついた人を治療したり、汚染された装置の汚染除去するための装備を有している。ある特定の装備は漁船でも利用可能である。

マスタード剤は生産することが非常に簡単であり、そのため、ある国が化学戦争のために能力を増強することに決めるときの「最初の選択」となりえる。

マスタード剤以外にも、化学兵器として用いられたいくつかの他の深い関連のある化合物がある。1930年代の間に窒素(ナイトロジェン)マスタード剤の合成とその注目に値する糜爛効果について出版された。作用
のメカニズムと症状は、主にマスタード剤と合致する。ドイツとアメリカはそれぞれ1941年と1943年に窒素マスタード剤の軍事生産を開始したが、英国での開発は急増した後に破棄された。化学兵器としての窒素マスタード剤の使用と有用性に保証がないため、これらのタイプの剤は保存に不向きだった。


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物理的・化学的特性

純粋な状態で、マスタード剤は無色で、ほとんど無臭である。マスタード剤という名前は、初期の方法ではからしの匂いがする不純な製品しかできなかったことにちなむ。マスタード剤は、腐った玉ねぎに似た特有のにおいを持つともいわれる。しかし、嗅覚は、何度か呼吸すると、においがもう識別されることができないほど鈍くなってしまう。さらに、マスタード剤は人間の嗅覚では識別できないほど低濃度でも呼吸器系に損傷を起こすことができる。

室温でマスタード剤は不安定の低い液体であって、貯蔵中も非常に安定している。純粋なマスタード剤の融点は14.4℃である。低温で効率的にマスタード剤を使うことが可能であるために、あるタイプの弾薬では2:3の比率でルイサイトと混ぜられた。この混合は氷点が-26℃である。第二次世界大戦の間に、高粘性マスタード剤の形式がポリマー付加手段によって生産された。これは知られている中では強化CW剤の最初の例である。

マスタード剤は、たいていの有機溶剤で容易に溶かすことができるが、水にはほとんど溶けない。水溶液では、マスタード剤は加水分解手段によって有害でない製品になってしまう。この反応はアルカリによって促進される。しかし、溶かされたマスタード剤だけが反応するのであり、それは変性が非常にゆっくりと進むことを意味する。ただし、さらし粉とクロラミンは激しくマスタード剤と反応して、有害でない酸化物が形成される。このため、これらの物質がマスタード剤の無毒化のために使われる。


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作用のメカニズム

マスタード剤の有毒効果は、他の物質に共有結合する能力によるものである。塩素原子はエチル基グループと激しく反応し、マスタード剤は反応的なスルホン酸イオンに変化する。このイオンは、多数の異なった生物分子に結び付くことができる。そのほとんどは、核酸の基礎成分の硫黄や、タンパク質やペプチド内のSH群の硫黄といった求核分子と結びつく。マスタード剤は2つの「反応的なグループ」を含んでいるので、分子間や分子内に橋を形成することができる。マスタード剤はアルキル化手段によって、細胞のさまざまな物質を破壊し、生命組織の多数のプロセスに影響を与えることができる。


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症状

気体あるいは液体のかたちで、マスタード剤は皮膚、目、肺、消化管を襲う。皮膚や肺を通して吸収されて体内に送られたマスタード剤の結果として、内部器官、特に血を作る組織も傷つけるかもしれない。効果が襲いのはマスタード剤の特徴である。マスタード剤は接触後すぐには症状を与えないため、痛みを感じ、犠牲者が何が起きたかに気づくまで、2〜24間の遅れがあるかもしれない。その時までにはすでに細胞損害が起こされている。

マスタード剤中毒の症状は広範囲に広がる。穏やかな損傷は、涙目、皮膚炎症、粘膜の刺激、しわがれ声、せき、くしゃみなどである。通常、これらの損傷は内科治療を必要としない。活動不能となり医療を必要とするひどい損傷は、視力喪失を伴う目の損傷、皮膚上の水ぶくれの形成、ひどい呼吸困難を伴う嘔吐と下痢を起こすかもしれない。

比較的新しいマスタード剤損傷のあるバルト漁師。写真はSteen Christensen 博士によってデンマークのBornholm病院で撮影。

マスタード剤への曝露から生じる急性死亡率は低い。吸入で直接人を殺すためには、たとえば神経ガスソマンで汚染された急性死亡率に必要な量の約50倍も必要である。通常、マスタード剤への曝露後に死ぬのは、数日後から数週間後のことである。

最もひどい損傷が液体マスタード剤に接触後起こるのに対して、気体状態マスタード剤では小さい皮膚損害が起こされるかもしれない。皮膚損害は最初に痛い炎症として現われる。曝露レベルによって、損傷は色素沈着に発展するかもしれない。それは、小さな表面の水ぶくれや水疱ができて、皮膚壊死のために数週間後にはがれ落ちる。極端な場合、皮膚壊死は水ぶくれが存在しないほど幅広いかもしれない。皮膚損傷は湿っ気が多く暖かい気候ではいっそうひどくなる。また、たとえば股のつけ根の部分や腋の下などの湿っぽくて温かい皮膚でひどくなる。

経験的に、患者が伝染病にさえならなければ、非常に大規模な80〜90%の皮膚損害であっても治療できることがわかっている。しかし、皮膚への損傷は、回復にやけどよりずっと長期間が必要であり、数カ月の保護と形成外科を必要とするかもしれない。

目への損傷は、初めに目の炎症を伴う刺激と涙の強い流れのようにみえる。曝露によって、症状はその後、光への敏感さ、腫れたまぶた、角膜への損傷に発展するかもしれない。目へのひどい損害は、視力の全損に導くかもしれない。目への損害を経験した犠牲者は、曝露後最高30〜40年後にも問題が続くかもしれない。

マスタード剤中毒の結果として最も普通の死因は、マスタード剤の吸入によって起こされる肺損傷後の併発症である。肺損傷は曝露後数時間で外見上明白となり、胸への圧迫、くしゃみ、しゃがれ声として現われるであろう。ひどいせきと肺の浮腫によって起こされた呼吸困難が次第に起こり、2日後には「化学的肺炎」に発展するかもしれない。慢性の遅い効果の大部分は、肺損傷によっても起こされる。

内部器官に対する最も顕著な効果は、骨髄、脾臓、リンパ組織への損傷である。これは曝露後5〜10日に白血球数が激減する可能性があるが、放射線への曝露後に非常に類似している。この免疫防衛力の縮小は、皮膚と肺のひどい損傷をした人々がすでに大きくなっている感染の危険をさらに複雑にするであろう。


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解毒剤と治療方法

マスタード剤損傷の基本的な原因に影響を与えることができる手当ても解毒剤も存在しない。その代わり、症状を治療するための努力をなさなければならない。最も重要な処置は、急速・完全に患者の汚染を除去し、それによってそれ以上の曝露を止めることである。この無毒化によって、スタッフへの曝露の危険も減少するであろう。服を脱がし、皮膚は適当な除染装置で汚染を除去して石鹸と水で洗う。もし髪が汚染されていると疑われるなら、そり落とさなくてはならない。目は少なくとも5分間、水か生理的食塩水で洗い落とす。

内科治療では、抗生物質手段によって伝染病を抑える努力がなされる。痛みは局部麻酔薬によって和らげることができる。皮膚損傷が治った後、形成外科を導入することが必要かもしれない。肺損傷は気管支拡張治療で治療される。せき緩和薬とコーチゾン調合が使える。目の損傷は、もし必要なら、鎮痛剤と抗生物質で局所的に治療される。治療したとしても、炎症と光への敏感さは長期間残るかもしれない。

マスタード剤損傷のメカニズムについての最新の知識は、治療の新しい方法に導くかもしれない。第一段階のアルキル化は非常に急速に起きるので、影響を与えることが非常に難しい。未来の治療では、症状の発展を鎮圧し、軽減することに集中して、それによって回復率が改善されるかもしれない。


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マスタード剤によって起こされる損傷のタイプ

マスタード剤によって起こされる損害については、ひとつのメカニズムだけを識別することは不可能である。しかし、第一段階において可能性のある2つの重要なメカニズムは、どちらも反応的なスルホン酸イオンの形成ということができる。そのようなメカニズムの一つは、DNA(アルキル化)における基礎化合物とマスタード剤の接合である。この接合は、要素の破損と、DNA分子内の2つの要素の間の橋の形成を誘発するかもしれない。この種の橋は、細胞分裂の間にDNAがふつうに作用することを妨げて、ひどい損傷と細胞死亡に導くかもしれない。DNAへの損害は、DNAの自然修復メカニズムにも突然変異と障害に導くかもしれない。DNA上の影響は、マスタード剤曝露後にガン罹患率が高まっていることにも観察できる。

もう一つの作用メカニズムは、マスタード剤と細胞内グルタチオンの相互作用である。グルタチオンとは、特に細胞呼吸の間に形成される有離基からの保護をする小さいペプチド分子である。あまりにも大きいときには、グルタチオンがマスタード剤と結びつき、これらの有離基の正常化作用はもう作用しない。有離基は非常に有毒なので、これは細胞の多くのプロセスが妨げられることになるかもしれない。

マスタード剤は細胞で別のタンパク質にも結び付くことができる。しかし、どれぐらいこれが起こされた損傷に関与しているかはわからない。付着は機能的なグループ、例えばメルカプト基あるいはアミノ基グループにおいて起きる。例えば酵素の活発な場所で付着が起こるなら、新陳代謝の障害に導く活動が抑制される。他方、薄膜タンパク質が結び付けられるなら、その結果は物質の取り入れかたが修正され、細胞内部の環境が障害を受ける可能性がある。


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マスタード剤の物理特性

分子量 159.1

密度 g/cm3*

1.27
沸点℃ 217
融点℃ 14
蒸発圧力 mm Hg* 0.11
揮発性 mg/m3* 900
水溶性 %* 0.06


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マスタード剤の毒性

  • 吸入: LCt50 1500mg*min/m3
  • 皮膚曝露: LCt50 10000mg*min/m3
  • 皮膚上に水ぶくれを起こす最小量: 0,02mg


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