Japanesque

闘戦経
現代語訳版

闘戦経序

 闘戦経のすべては、日本の兵家の奥義を極めたもので、我が家に伝わる古書である。鬼に勝ち、神に勝つ智、陰に勝ち陽に勝つ機会は、この書でなければ得られない。

 この書によって、奥羽の後三年の役で、源義家が、雁の列が急に乱れたのを見て伏兵が潜んでいるのを察知したり、源実朝が鶴岡八幡宮に参詣したとき、お宮の鳩が急に落ちてきたので刺客の異変を予感したのである。

 しかし、年代が古いので、虫が食い、鼠に噛まれて、その言い伝えがわからなくなってしまった。だれの著作であるかわからない。我が家の太祖・宰相維時卿の作ともいい、太宰帥匡房卿の書であるともいわれているが、今となってはその証拠がない。

 この書を見ると、述べていることはひじょうに深淵で、あたかも支那の伝説にあるような、甘粛省の鼎湖から黄帝が龍に乗って昇天した故事や、北海にいた鯤という魚がある朝変化して鵬という鳥になって広大無辺の天池南溟に飛んでいったという荘子の話のように、神変不思議な力によるのでなければ、とうていできそうもない。もしそうでなければ、左伝にある、支那山東省の鹿門隠(孔明の師の[广龍]徳(ホウトク))か、穀城に隠れていた老人(張良の師黄石公)かが、人知れず記述したものかとも思われる。このような奇書は金の箱に入れて帝室の図書庫に収められてしかるべきものであるが、それが抜け出してきてわれらの間にあるのは、まことに幸せである。

 わたしは幼い頃から本書を愛読し、今日の老境に至るまで、時々読み返してきた。だが、自分はまだその玄妙蘊奥の伝を悟るまでにはなっていないし、また、これを知っている人も見あたらない。しかも、わたしはすでに年老いて明日をも知らぬ。そのため、現代に伝わる論語(魯論)にならって壁の中におさめ、兵書『陰符経』のように石室に置いておこうと思った。いまだ極めて不充分ではあるが、願わくば後世に識者が輩出して、そのとき、この書の真髄を解明してもらいたいと期待し、ここに本書の永世不朽であることを神明に誓うものである。

 以上は公表者大江某の言葉である。

本文

第一章

 わたしの言う「武」は、天地の初めからすでに存在していて、ある「気」が天地を分けた。それは、雛が卵を割るようであった。このため、わたしのいう武道は万物の根源であって、諸家の思想の始まりなのである。

第二章

これ(=武)は本来第一位のものであり、あれ(=文)は第二位のものである。それなのに世間では通常、文武を並行させ、車の両輪や鳥の両翼にたとえるが、これはどういうことか。なぜなら、このことは蔕(うてな/へた=がく)がまず固まってから花が開くようなものであり、祖神イザナギ・イザナミの二神が瓊鋒(玉の矛=天の沼矛)を使って[石殷]馭廬島(おのごろじま)を造られたことからみても明らかである。

第三章

 心によってやったものは名人芸にはならず、気合いだけでやるものは失敗する。しかし、心にもよらず、気にもよらないのも、まだ充分とはいえない。知ったといっても本当に知っているのではなく、考えたといっても本当に考えているのではない。いつのまにか真実が分かってしまって、骨の髄まで変わってしまっている。骨の髄まで変わってはじめて、本当に知ったといえるのである。

第四章

 金を金と知り、土を土と知るならば、金は金として、土は土として各々的確に扱われる。こうして、厳密に分類することが天地の道において大切であるということがわかる。

第五章

 日月星辰の運行は剛毅のために狂うことがなく、大地は剛毅のために崩れ落ちず、神は剛毅のために厳然として存在し、仙人は剛毅のために不老不死となる。(剛毅=意志が強固で不屈)

第六章

 胎児は胎内でまず骨からでき、死んだときには骨が残る。天も地もともに、不易不変なものがその根幹である。そのために老子も、「その骨を実にすることが大切である」といっているのである。(老子道徳経第三章「聖人の治はその心を虚しくする。その腹を充実させる。その志を強くする。その骨を強くする」)

第七章

 風が吹いて黄ばんだ枯れ葉をうち払い、霜が降りて青草を枯らすことがある。冬には太陽が南へ傾き、暖かみがなくなる。この自然の作用をみるとき、そこには断絶がある。わたしは、武の中にそれがあることを知る。

第八章

 中国の兵書には「兵は詭道なり」という謀略があり、日本の教えには、真の鋭気を説く。さて、詭道であるべきか、鋭気であるべきか。それは、狐で犬を捕らえるべきか、犬で狐を捕らえるべきかというようなものだ。

第九章

 兵の道は、「よく戦う」のみである。

第十章

 まず仁を学ぼうか、まず智を学ぼうか、まず勇を学ぼうか。壮年になってはじめて道を問うたのでは遅い。南北の方向も見失ってしまうだろう。まず水を呑もうか、まず食を求めようか、まず枕を取って休もうか。百里進んで疲れた者は、これをどうしようとするだろうか。
 

第十一章

 眼は明るいほうがいいといっても、どうして三眼を願うことがあろうか。指が役に立つといっても、どうして六指が必要だろうか。善に善を重ねるならば、かえって兵で勝つ方法とはならない。

第十二章

 死を説き、生を説いたとしても、死と生とをわきまえることはできない。死と生を超えてはじめて、死と生との境地を説くことができる。

第十三章

 孫子十三篇はいずれも「おそれ」の域を脱していない。

第十四章

 気(生命力)は容器(肉体)を得て生きるが、うつわがなくなっても存在している。薬草は枯れてもやはり病を癒やす。四肢がまだ破れていないのに、心が先に衰えるのは、天地の原則から外れたものである。

第十五章

 魚にはヒレがあり、カニには足があり、ともに海にいる。魚はヒレがあって水中で早く、、カニは足があって水陸両用。専門をとるか、兼務をとるか。

第十六章

 ものの根源には五つある。一つは陰陽、一つは五行(木・火・土・金・水)、一つは天地、一つは人倫(倫理)、一つは死生。これらのそもそもの始まりを見るものが神である。神であって、人々を教化する者を聖という。

第十七章

 軍には、攻めるか守るかはあっても、孫子の兵法のように奇襲と正攻などはない。

第十八章

 兵は威光を利かすものである。

第十九章

 儒教的道徳では死に、謀略では敗走する。愛する夫が海上に去った姿を見送り、岩の上に立ちつくして名残を惜しみ、そのまま石化した松浦佐用媛のように貞節な女性は後々まで残るが、謀略の士の場合は、骨すら残ったことがない。

第二十章

 将には胆略があり、兵士は踵を返して逃げるようなことがないなら、まことに結構だ。
 

第二十一章

 鳥にはくちばしがあり、翼があり、足がある。くちばしがなければ、命をまっとうするのがむずかしい。翼がなければ、敵から逃れるのがむずかしい。足が無ければ食を得るのがむずかしい。ああ、どれを選んだものか。それならかえって、わたしはマムシの毒を準備しておこう。

第二十二章

 一度疑いはじめれば、天地のすべてが疑わしい。疑わなければ、万物すべてが疑われない。ただ身体の動きに従って、万物は用いるべきときに用い、捨てるべきときには捨てる。

第二十三章

 呉子の兵法六篇は、兵法の定石を繰り返し言っているだけのものである。

第二十四章

 政治を執る国内の臣は、物欲があると善政を敷くことができない。海外にいる武将は、危難にあってぐずぐずすると好機を逸する。

第二十五章

 草木は霜を恐れるくせに、かえって雪は恐れないものである。人は、威厳は恐れるけれども、罰はかえって恐れない。

第二十六章

 ヘビがムカデを捕まえるのをみれば、足が多いのも足がないのに負けることがある。統一された精神こそ兵勝の根本なのだ。

第二十七章

 取捨するとき、取るべきものはどんどん取り、捨てるべきものはどんどん捨てるのがいい。トビのようにきょろきょろしたり、キツネのように疑ったりするのは、智者がやらないことである。

第二十八章

 木には火あり、石も火あり、水にも火あり、五行すべてに火がある。火は太陽の精髄であって、元神の鋭である。ということは、守ったときに堅固でなかったり、戦って屈服したり、困窮して降伏したりするのは、五行の英気に従っていないからである。

第二十九章

 食べれば満足するように、勝ってこそ仁義も行なわれるようになる。

第三十章

 小さなマムシに毒があるのは、天与の性質だ。小さな軍勢で大きな敵を破るのも、またこのようなものである。
 

第三十一章

 鬼智もまた智であり、人智もまた智である。鬼智は人智よりも優れている。人智が、鬼智の上に出ることはないのであろうか。

第三十二章

 国が乱れてこれを治めようとする者は、簡明直裁、疑念の横行を禁じる。その目標は、権をいっそう堅固たるものにするためである。

第三十三章

 指を意識して手を使うようでは未熟である。舌を意識して話する間は未熟である。そのような意識で物事をしていると、虎のような剛毅な人間であっても、羊のような柔弱なものに成り下がってしまうだろう。

第三十四章

 変わったことといっても、実は何の不思議もない当たり前のことである。妖怪といっても、本体は狐狸の類のもので、恐れるほどのことではない。自分の夢と神の夢とを合わせ鏡のようにして見ると、これらのことがよくわかってくる。

第三十五章

 胎内の子に胞があってその安全な成長を助ける。これを見れば、神が人間の身を護ってくださるのがよくわかる。その守護のもとに活動しよう。

第三十六章

 細いつるに大きなヒョウタンが成る。激烈な毒が小さいマムシにある。唯摩経には、芥子が須弥山を覆うという言葉が乗っている。造化の本質は、小の中に大を秘めているものである。

第三十七章

 まず足元のヘビを倒してから、山中の虎を制圧すべきだ。(国内の災いをなくしてから、敵国と戦え/国内の災いをなくしつつ、敵国と戦え)

第三十八章

 ほのぼのと暖かい感じで心に潤いを与える珠玉は、知を表わしているのではないか。その形は内に向かって凝結されている。だから、智者は内省的であれ。光り輝く火炎は勇を表わしているのではないか。その形は外に放射されている。だから勇者は外向的であれ。天地の現象には陰と陽とがある。知も勇もこの現われだろう。天地に則って、処世するのを至道という。これ以外に至道とは何をいうのか。

第三十九章

 太鼓を鳴らして戦となったら、仁義などといっておれない。切り結ぶ白刃に対しては原理も定理もない。

第四十章

 本体があり、それを動かして活用強化するなら成功するが、まずとにかく活動していて、その集積によって本体を形成しようとすると、不安定で、どんなものになるかわからない。同様に、剛毅な心身を持ち、それを基盤として武道を学べば勝者となるが、武道を学んでいるうちに剛毅な心身を作ろうとすると、負ける。
 

第四十一章

 亀はおおとりになろうとして努力しても、万年たってもできない。ジガバチは青虫の子に対して祈って、わずかな間にジガバチに変えてしまう(詩経より)。成功・不成功は人間の力だけではなんとも決定しがたいのではないか。

第四十二章

 鯉が龍門の滝を登って龍になるのは、力による。力は意識的、後天的なものである。その龍が天に昇るのは、勢である。勢は無意識的、先天的なものである。

第四十三章

 わずかな兵力で短期間に敵を滅ぼさずにとりこにするには、たとえば、サソリの尾の毒のあるところのような、敵のたのみにしている攻撃力の急所を討つのに限る。

第四十四章

 腕力・意識の人力を尽くして一気に矢を放つ。大勢の敵を小勢で討つには、このように時期をとらえて一気に進むのがよいだろう。

第四十五章

 龍車に向かうカマキリというたとえがあるが、向こう見ずの蛮勇で成功しない。相手が何者であるかを見極めたら、カマキリも腕を折らずに済むのである。とすると、智が先にきて、勇はそれに従うものなのか? むかし、船を作る人がいた。ある人が「帆を作ってからかいを作るのか、かいを作ってから帆を作るのか」と尋ねた。船工はノミを投げ捨てて言ったという。「あんたのようなのは大海を渡る人にはなれようもない」

第四十六章

 幼虫のときに空を飛ぶことがわかろうか。蝉になったときに土ごもりができようか。一人が二つのものを得ようとすれば、あちらを得ればこちらは得られず、こちらを得ればあちらは得られないということになる。

第四十七章

 人が精神力をみなぎらせれば勝つ。鬼が精神力をみなぎらせれば、恐れさせる。

第四十八章

(三とおりの解釈が可能である)

 水中の動物には甲羅や鱗がある。守るのに都合よく固い。山の動物には角や牙がある。戦うのに都合よく鋭い。(先天的な持ち前を発揮せよ)

 水中の動物には甲羅や鱗がある。守るには固くしなければならない。山の動物には角や牙がある。戦うには鋭くしなければならない。(先天的な持ち前に頼らず努力せよ)

 水中の動物には甲羅や鱗がある。守って固くせよ。山の動物には角や牙がある。戦って鋭くせよ。(先天的な持ち前と努力とを両方用いよ)

第四十九章

 石を投げて大軍に打撃を与えるには、力がいる。矢を放って羽が食い込むまで深く命中させるには、力よりも技術が必要である。技術は力よりものをいう。しかしながら、兵術はワラジのようなものだ。足が健康であってはじめて履く意味がある。歩くことができない者には役立たない。

第五十章

 龍となって雲や雨を思いのままにしようか。虎となって百獣を畏怖させようか。狐となって化かそうか。龍になるのは威厳である。虎になるのは勇気である。狐になるのは知謀である。威厳は長続きしない。勇気はくじけやすい。知謀には内実がない。そのため、昔の人は威力だけに頼るのでもなく、勇気だけに頼るのでもなく、知謀だけに頼るのでもなかった。
 

第五十一章

 北斗七星が北を示し、磁石が北を指すのは、永久不変の天道か。

第五十二章

 兵の基本は、禍患を防ぐことにある。

第五十三章

 神業のような用兵を発揮しようとして、心を研ぎ澄ますのはいいが、それを勘違いして心を虚無にしてしまってはならない。

 

闘戦経終

跋文

 応仁の乱で天下の古書はことごとく兵火で焼けてしまった。さいわい、大江家の闘戦経一部がその難を免れた。かつて、秦の焚書坑儒にあっても、黄石公が授けた一編だけがわずかに残ったというが、それとまったく同じであろう。江帥大江匡房の聖霊がこの書を護ったようである。江帥の末裔である大江元綱(毛利元就の弟)が、これを秦出羽守武元(上北面)に授けて、「兵家の極秘の数多くのことがこの書に書かれている。永く熟読すれば、しぜんに難関を脱することができるだろう」と言った。武元は、「この書は伝えることができません。聖なる書でもなければ、叡智の書でもないのですから、どうすべきでしょうか」と答えた。思うに、古今の兵書は、もっぱら奇策や正攻法、はかりごとや偽りを説いている。この書は、奇策でもなく、正攻法でもなく、はかりごとでもなく、偽りでもない。天地の理に従って、陰陽や変化を取り入れている。説いてきて、かえって天地陰陽に従っている。そこで初めて、この書が神聖なものであることを信じたのである。我が国における、唐李仙が[山空][山同]山で記した天機書(『陰符経』)、風后から黄帝が霊厳山で授かった『握奇経』に比すべきものである。

大江家兵学の正統、真人、大江正豊(秀吉・家康のころの人)、敬書す。

石原光将 ISHIHARA Mitsumasa