Japanesque

闘戦経
書き下し文

闘戦経序

闘戦全経は、本朝兵家の蘊奥、我が家の古書なり。鬼に先ち神に先ち、智、陰に勝ち陽に勝つの機、此書に在らずんば能はざるなり。故に奥羽の逆乱、田鴻の乱れ行くに伏賊を察し、鶴岡の災変には、社鳩の忽ち堕つるに刺客を考ふ。爰に歳月旧り、蠹鼠交々噛んで、その伝を失ひ、何人の作述なるかを知らず。或は曰ふ、太祖宰相維時卿の作と。或は曰ふ、太宰帥匡房卿の書なりと。今考ふべからず。之を観るに、登龍の鼎湖を脱し、化鵬の南溟に[者の下に羽の字]る者に在らずんば為すこと能はず。然らずんば鹿門の隠・穀城の老の記する所か。金凾に盛って帝室に蔵すべし。幸に脱して人間に在り。予、幼より老に至るまで、手に巻を捨かず。然りと雖も、未だ玄妙を曉らず。焉を伝ふるに人無く、之を識るに人無し。天寿已に尽んと欲す。故に魯論に效って壁中に蔵し、陰符に擬して石室に置かんと欲す。天機秀発して後世其の人有って識ることを須たんのみ。窃に神明に誓ひ、此の書の不朽を期す。大江某、頓首して記す。

本文

第一章
我が武は天地の初に在って一気天地を両(わか)つ。雛の卵を割るが如し。故に我が道は、万物の根元・百家の権与なり。

第二章
此は一たり、彼は二たり。何を以て輪と翼とに諭えたるか。奈何となれば、蔕を固うして華を載す。信(まこと)なる哉。天祖先づ瓊鋒を以て[石殷]馭を造る。

第三章
心に因り気に因るは未し。心に因らず気に因らざるは未し。知って知有らず、慮って慮有らず、窃に識って骨を化し、骨を化して識るなり。

第四章
金の金たるを知り、土の土たるを知らば、金は金たりと為し、土は土たりと為す。爰に知れり、天地の道、純一を宝となすを。

第五章
天、剛毅を以て傾かず、地、剛毅を以て堕ちず。神、剛毅を以て滅びず。僊、剛毅を以て死せず。

第六章
胎に在っては骨先づ成り、死に在っては骨先づ残る。天翁と地老と、強を以て根と為す。故に李真人曰く、「其骨を実にす」と。

第七章
風の黄を払ひ、霜の蒼を萎(しぼ)ます有り。日、南にして暖なし。仰いで造化を観れば、断有り。吾が武の中に在るを知る。

第八章
漢文、詭譎(きけつ)あり、倭教、真鋭を説く。詭ならんや、詭ならんや。鋭ならんや、鋭ならんや。狐を以て狗を捕へんか、狗を以て狐を捕へんか。

第九章
兵の道は能く戦ふのみ。

第十章
先づ仁を学ばんか。先づ智を学ばんか。先づ勇を学ばんか。壮年にして道を問ふ者は、南北を失せり。先づ水を呑まんか。先づ食を求めんか。先づ枕を取らんか。百里にして疲るる者は彼是(ひし)を奈(いかん)せん。
 

第十一章
眼、明を崇ぶと雖も、豈に三眼を願はんや。指、用を為すと雖も、豈に六指を為(おもは)んや。善の亦善なるは、却って兵勝の術に非ず。

第十二章
死を説き生を説くも、死と生を弁ぜざるべし。死と生とを忘れて、死と生との地を説くべし。

第十三章
孫子十三篇、懼の字を免れず。

第十四章
気は容を得て生じ、容を亡(うしな)って存す。草枯れて猶ほ疾を癒すが如し。四体未だ破れざるに、心先づ衰ふるは、天地の則に非ざるなり。

第十五章
魚に鰭有り。蟹に足有り。倶に洋に在り。曾(すなは)ち鰭を以て得たりとせんか、足を以て得たりとせんか。

第十六章
物の根たるもの五あり。曰く陰陽、曰く五行、曰く天地、曰く人倫、曰く死生。故に其の初の始を見る者を神となし、神にして衆人の為に舌ある者を聖となす。

第十七章
軍は進止あって、奇正なし。

第十八章
兵は稜を用ふ。

第十九章
儒術は死し、謀略は逃る。貞婦の石となるを見れども、未だ謀士の骨を残すを見ず。

第二十章
将に肝有りて、軍に踵無きは善なり。
 

第二十一章
先づ翼を得んか、先づ足を得んか、先づ觜を得んか。觜無きは命を全うし難く、翼無きは締を遁れ難く、足無きは食を求め難し。嗚呼奈何せん。我れ是れ却て蝮蛇の毒を生ず。

第二十二章
疑へば則ち天地皆疑はれ、疑はざれば則ち万物皆疑はれず。唯四体の存没に随って万物の用と捨とあり。

第二十三章
呉起の書六篇、常を説くに庶幾し。

第二十四章
内臣黄金の為に行はず。外臣猶予の為に功せず。

第二十五章
草木は霜を懼れて雪を懼れず。威を懼るるを知りて罰を懼れず。

第二十六章
蛇の蜈を捕ふるを視るに、多足や無足に若かず。一心と一気とは兵勝の大根か。

第二十七章
取る可きはますます取る可く、捨つ可きはますます捨つ可し。鴟顧と狐疑とは、智者依らず。

第二十八章
木に火あり、石に火あり、水にも亦火あり、五賊倶に火有り。火は太陽の精、元神の鋭なり。故に守て堅からず、戦て屈を見る、困して降るは五行の英気にあらざるなり。

第二十九章
食うて万事足り、勝って仁義行はる。

第三十章
小虫の毒有るは天の性か。小勢を以て大敵を討つ亦然るか。
 

第三十一章
鬼智も亦智なり、人智も亦智なり。鬼智、人智の上に出づ。人智、鬼智の上に出づるなきことあらんや。

第三十二章
戦国の主は疑を捨てて権に益すに在り。

第三十三章
手に在っては指を懐ふこと勿れ。口に在っては舌を動かすこと勿れ。懐ふと動かすとは、将に心を災すること有るもの、虎にして羊と為るべし。

第三十四章
変の常たるを知り、怪の物たるを知らば、造化と夢を合わす若(ごと)し。

第三十五章
胎子に胞あるを以て、造化の身を護るを識る。

第三十六章
瓢の葛に生ずる、毒の蝮に有る、芥子の須弥を入るゝ、天地の性、豈少しきを謂(おも)はんや。

第三十七章
先づ脚下の蛇を断ち、重ねて山中の虎を制すべし。

第三十八章
玉珠湿潤なるは知か。影、中に在り。故に智者は顧るべし。炎火光明なるは勇か。影、外に在り。故に勇者は進むべし。是、陰陽の自然か。自然を以て至道と為さずんば、至道、亦、何をか謂はんや。

第三十九章
鼓頭に仁義なく、刃先に常理なし。

第四十章
体を得、用を得るは成り、用を得、体を得るは変ず。先づ剛にして兵を学ぶは勝主となり、兵を学んで剛に志すは敗将となる。
 

第四十一章
亀は鴻を学ぶも万年終に成らず。螺は子を祝して一朝能く化す。得ると得ざるとは夫れ天か。

第四十二章
龍の大虚に騰るは勢なり。鯉の龍門に登るのは力なり。

第四十三章
単兵、急に擒にするは毒尾を討つ。

第四十四章
箭の弦を離るるは衆を討つの善か。

第四十五章
輪の輪たる所以を知らば[虫良]臂伸ぶべし。輪の輪たる所以を知らずんば、[虫良]臂折るべし。然らば智初にして勇終たるか。昔、人の船を作る者あり。或ひと問うて曰く、「帆を作って後、楫を作るか。楫を作って後、帆を作るか」と。舟工鑿を擲って曰く、「子、奚(なん)ぞ洋海を渡る人と為るを得んや」と。

第四十六章
虫にして飛を解せんか。蝉にして蟄を知らんか。一物二岐たり。彼を得れば是無く、是を得れば彼無し。

第四十七章
人、神気を張れば勝(すぐ)る。鬼、神気を張れば恐れしむ。

第四十八章
水に生ずる者、甲あり鱗あり。
{1:守るには以て固し。2:守らんには以て固くせよ。3:守りて以て固くせよ}
山に生ずる者、角あり牙あり。
{1:戦ふには以て利(するど)し。2:戦はんには以て利くせよ。3:戦ひて以て利くせよ。}

第四十九章
石を擲って衆を撃つは力なり。矢を放って羽を飲むは術なり。術、却って力に勝つ。然りと雖も兵術は草鞋の如し。其の足、健にして着くべし。豈、[足夬]者の用ふる所を為さんや。

第五十章
化して龍と為り雲雨を致さんか。化して虎と為り百獣を懼れしめんか。化して狐と為り妖怪を為さんか。龍と為るは威なり。虎と為るは勇なり。狐と為るは知なり。威は久しからず。勇は[金夬]け易し。知は実無し。故に古人は威に頼らず、勇に頼らず、知に頼らざるなり。
 

第五十一章
斗の背に向ひ、磁の子を指すは天道か。

第五十二章
兵の本は禍患を杜(ふさ)ぐに在り。

第五十三章
兵を用ふるの神妙は虚無に堕せざるなり。

 

闘戦経終

跋文

応仁の逆乱に天下の古書尽く烏有となる。江家の闘戦経一部、幸なる哉其の綱を脱す。昔、狼秦の火、[土巳]上の一編僅かに存すると、時を同じうして語るべし。江帥の聖霊、はた此の書を護るか。江帥の遠裔、大江元綱、之を出羽守武元に授けて曰く、兵家の極秘、品々此の書に在り。熟読永久にして、自然、関を脱すべし、と。武元亦曰く、此の書、伝ふべからず。聖に非ず智に非ずんば、奈何にすべき、と。夫れ以(おもんみ)るに、古今の兵書、専ら奇正権譎に在り。此の書は奇に在らず、正に在らず、権に在らず、譎に在らず。天地と理を同じうし、陰陽と化を合す。説き来り却って天地陰陽に在り。初めて信ず、其の作、聖にして神なるものを。我が国に於ける[山空][山同]天機の書、霊厳握奇の文なり。

江家兵学の正統、真人、正豊、敬書。

石原光将 ISHIHARA Mitsumasa