5. John Arquilla and David Ronfeldt,
"Cyberwar is Coming!" Comparative Strategy 12 (April-June,
1993): 141-65.
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狭義の情報戦は、おおよそ「概念と認識」という重要語である。情報戦はおおよそ「人間の思考法」だとか、それ以上に重要な「人間の意思決定法」という意味を持つ。情報戦は社会や軍部の通信網を通して完全にではないが広く遂行されているけれども、根本的に衛星・通信線・コンピューターに対する語ではない。人間とその意思決定に影響を及ぼすものである。空軍、一般機関が直面した最大の単一の脅威、すなわちわたしたちが情報戦について考え始めたということは、単に現在のわたしたちの現在のビジネス方法をふやすだけの強制力として、新しい技術、とくに情報技術を取り入れるという日常的な誘惑にわたしたちは駆られることになるであろうということだ6。技術だけに焦点をしぼることは、歴史的な釣り合いからいって戦略的な失敗となりかねない。情報戦の技術を、スピード・精度・致死性のような、身近に内輪で定義されたモデルにむりやり当てはめてしまって、ほんとうの軍事革命のためのヴィジョンと機会を逃してしまいかねない。情報戦は現実の戦闘である。孫子が述べたような、敵の最初の部隊が展開されうるまえに、あるいは敵の最初の発砲が行なわれる以前に敵の「戦略」がすでに破られているという彼我の差を生み出すために、情報を使うものである。
6. Carl H. Builder, The Icarus Syndrome:
The Role of Air Power Theory in the Evolution and State
of the U.S. Air Force , (New Brunswick, N.J.: Transaction
Publishers, 1994).
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だから、情報戦の目標は、人間の精神、とくに戦争か和平かの重要な決定をなす精神、そして軍事的観点からは、いつ、どのように、戦略構造に組み込まれた財産と能力を執行するか否かという重要な決定をなす精神である。ラジオ・フリー・ヨーロッパ、ラジオ・マーティアキュートは冷戦の一側面であったということができる。つまり、合衆国情報機関は情報戦のための試演であった。諜報機関、衛星操縦手、通信専門家、コンピューターの天才、空軍諜報部や新しい合同情報戦センターの人たちが民間・軍用において用いる心理作戦(PSYOP)における現在の能力は、わたしたちが情報戦についての新しい能力の一部を発展させる環境を知るためのカギをいくつか示しているといえよう7。そして、コンピューター、電子戦、通信網の改造における情報戦の概念が、伝統的な国家対国家闘争などの軍事作戦には最もなじみが深いものではあるが、情報戦の戦場「サイバースペース」における新しい危険なプレイヤーも存在しているのである。このような急増するプレイヤーたち――グリーンピース、アムネスティ・インターナショナル、Legion
of Doom(滅亡大隊)のような詐欺的コンピューター・ハッカー、ケーブル・ニュース網(CNN)で「人権侵害」を訴える第3世界の「反逆者」、あるいはイデオロギー・宗教に染まったテロリストたちは、全世界的コンピューター通信網に簡単にアクセスし、情報を交換し、地球的規模での政治行動を調整しているのである。ということは、伝統的国家における軍部や政府が、われわれの安全保障への唯一の重大な脅威というわけではないし、また国家安全保障政策の唯一の担い手というわけでもないということになろう8。サイバースペースは、新しい「戦闘空間」になりうるが、戦闘は精神に対する戦闘であり続ける。戦闘と戦闘空間を混同してはならない。
7. "Information Dominance Edges toward
New Conflict Frontier," Signal 48 (August, 1994):
37-39.
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8. Winn Schwartau, Information Warfare:
Chaos on the Electronic Superhighway (New York:
Thunder's Mouth Press, 1994).
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わたしたちがなじんでいると思われる文脈、つまり、国民の士気と国軍支援に影響を与える努力としての宣伝に注目してみよう。ベトナム戦争は、戦場で連勝し続けても銃後の情報戦争に敗北することの結果を教えてくれている。情報戦の到来以前に、大衆聴取者に影響するためのさまざまなマスメディアを通じて、宣伝が伝統的に行なわれてきた。新しい技術によって可能になった一つの重大な変化は、カスタマイズされた宣伝の潜在能力である。「適所」マーケティング・リサーチを専門とする企業から個人を狙って送られてきた政治的宣伝を受け取った者は、何もかも――個人の消費習慣や嗜好、国家ライフル協会を支援しているかTailhook集会に参加しているか、どんなテレビ番組を見ているか――知っている私企業が存在しているとわかって、その瞬間に戦慄してきたはずだ。クレジットカードで購入したものはすべてだれかの資料にデータが追加される。単に石鹸や政治家を売っているだけではないのだ。現在の公的・商業的データベースと、わずかな資金・技能でもだれもが基本的に使えるような情報源・メディア・情報発信手段の数が着実にふえ続けているということは、たとえば一例として、配備された軍人の家族に対して、カスタマイズされた情報戦攻撃の機会と「目標設定」を作り出しているのである。その士気に与える影響についてしばらく考えてみてほしい。コンピューター掲示板、携帯電話、ビデオカメラ、ファクス機――これらすべては、軍事・政治・経済的重要民間戦略構造物、あるいは配備部隊の家庭貯金額に対するわれらの対抗者が、カスタマイズされた激しい宣伝攻撃を行なうための侵入点や配布網を提供しているのである9。作戦セキュリティ(OPSEC)は、ますます、軍事セキュリティ問題で最も活発なものとなっっている。しかし、情報戦は、単なる宣伝・詐欺・伝統的電子戦と混同してはならないし、またそれに限定されてもならない。
9. Peter Black, "Soft Kill: Fighting
Infrastructure Wars in the 21st Century," Wired,
July-August 1993; 49-50.
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情報戦の新しい主要な要素は、テレビと報道ニュースの全世界的情報空間(infosphere)である。戦略級の情報戦は闘争の政治的文脈を形作る「戦場からの戦い」である。それは新しい「戦闘空間」を定義する。わたしたちは、「統合された戦場」に直面している。それは、すべての戦車や操縦席に全世界的測地システム(GPS)受信機をつけるというような普通の意味ではなく、戦争は戦闘とほぼ同時に政治にも組み込れるというクラウゼヴィッツの述べた意味においてである。CNN、その国際的な競争相手、あるいはビデオカメラを持ったテロリストによって作り出された「仮作的」世界に対して、国家指揮局(NCA)がじわじわと「反動的」になりつつあるという危険の中にあることを、多くの人が感づいている10。このメディアが創造してわたしたちが住んでいる世界は、「虚構的(fictional)」というよりも「仮作的(fictive)」である。というのは、CNNでわたしたちが見るものは「正しい」ことではあっても、全体的で適切な文脈上の真実ではないからである。にもかかわらず、この仮作的世界は、政治や軍隊が「何かをなす」と考えられる政治的に適切な世界となる。議員、国民を動かす権威、母親たちはみな、「インスタント・ニュース」と、それに続く「インスタントな」批判論評を見ているのである。これは、いよいよもって司令官の悪夢である。第一に、15人の下院議員が統合幕僚長を召還し、CINCで放映中のドラマで「ナイトライン」作戦について退役提督某々が批判的分析をしたのは有効かどうかを尋ねた。さらに重要なのは、合衆国軍が配布した対マラリア薬がボンゴ・ボンゴには効かないというテレビ報道を見たばかりの怒れる家族たちから、300人の下院議員が1万通もの電話・電子メール・ファクス・手紙を受け取ったということである(この報道は、ある不幸な防衛契約者からフランスのテレビに周到にリークされたものであり、CNNは無邪気にもそれを繰り返したのだ)。これらすべては、現実の「悪者」が情報戦争に手を染めようとしなくても起こったことである。想像してほしい。ソマリアはニュースとなり、わたしたちはソマリアに向かう。現実に同様の深刻な飢餓・無秩序・略奪のある隣国スーダンのかわりに。スーダンには「スカイリンク」とともにある報道者がいなかったというのが真実だ。というのも、スーダン政府はCNN記者にビザを発行しなかったからである。わたしたちはみな、ソマリアでマハメド・ファラー・アイディード逮捕に失敗した急襲の画像のインパクトを知っている。そして、政府、軍、ボスニアのような内戦における党、あるいは宗教的狂信者が、戦略情報で優位を得るために「戦場からの戦闘」のマルチメディア・マルチソース仮作世界を処理するという潜在能力は、明白にある11。インスタント通信のこれらの新しい技術がいかに戦場を変えるかについて、武装機関はようやく考え始めたところであり、率直に言えば、よい答えはまだ出ていない。
10. Douglas V. Johnson, The Impact
of the Media on National Security Decision Making
(Carlisle Barracks, Pa.: Strategic Studies Institute,
US Army War College, 1994)
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11. John Arquilla, "The Strategic
Implications of Information Dominance," Strategic
Review 22, no. 3 (Summer 1994): 24-30.
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仮作的または虚構的作戦環境は、大衆を狙っているか対象を絞っているかにかかわらず、政府や、ますます多様化したネットワークを使うあらゆる種類のプレイヤーたちによって、生成・送信・分配・放送されうる。国家その他のプレイヤーがインターネット通信の世界にアクセスして、「敵対」国家が通貨価値切り下げをしようとしていると思われるとの内容の金融情報を流すためにネットワークを使うという情報戦争も潜在的に可能なので、こうなれば金融混乱を簡単に招くことができる12。選ばれた聴衆に対して直接衛星ラジオやテレビ放送、あるいは従量制プログラムの中央官制によって、大多数の指導者は一族から兵士を、あるいは軍から部族を排除することに決めたのだ、と狙われた国家のある地方・地域の人々に思わせるだけの潜在能力も与えられている。あなた自身の想像力によって、マルチソース通信システムが、軍隊と国家の指導的権威に対して、どのようにわたしたちの利益に対する情報戦闘空間を形作る社会級情報戦のための無数の新しい能力を付与したのかという多くの例を提示できるだろう。
12. H. D. Arnold et al., "Targeting
Financial Systems as Centers of Gravity: `Low Intensity'
to `No Intensity' Conflict," Defense Analysis 10
(August 1994): 181-208.
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現在の技術がどのように戦略級情報戦で使われるか、一例を示しておこう。すでによく知られたハリウッドの現実模倣技術の能力がわたしたちの兵器庫に追加されるなら、天才的で革命的な新しい形態の戦いが可能になるだろう。今でも、生の俳優をコンピューター生成ビデオ画像と組み合わせる技術は、「仮想」記者会見、サミット、あるいはおそらく物理的事実としては「効果」を有していないような戦闘を、簡単に作り出すことができる。蓄積されたビデオ映像は、選ばれたどんな効果でも無限に生み出すように再結合あるいは「素材化」されうる。これは、伝統的軍事策謀を超えて働き、いまや、おそらく「写真」は千両の戦車に匹敵するであろう。敵領土で「デジタル化」された多数派のリーダーと「デジタル化」されたジミー・カーターが会談して、誠実な兵士たちに戦闘をやめて家に帰るようにと話した、という全国放送がなされたらどういう効果があるか、想像してほしい。忘れないでほしいが、情報戦の目標は、反対者の心の中の決定であり、人の心の戦闘空間は幻影の領域でもあるのだ。
これで少し遊んでみよう。信頼できる商用衛星を乗っ取ることによって、仮作的シミュレーションが放送される。これはSFではないかもしれない。トム・クランシーの最新小説『日米開戦(Debt
of Honor)』の読者なら、SFではないと考えるだろう。同時に、さまざまな目標国における「狙い澄ました情報」がネット経由でアクセスされる。いくつかの目標は、仮作的シミュレーションを強化するものを受け取る。その他の人々は、目標国で予期された反応をわずかに誤って導くさまざまなものを受け取る。そして対向軍全体が、巨大な電子的詐術計画の主体となる。ここで何が起こるだろうか?
戦術級では、これは相手の観察・適応・決定・行動(observation, orientation,
decision, action -- OODA)ループの麻痺である13。対抗者の「観察」能力は、台無しになるか、あるいは矛盾した情報・データによって非常にわずかに、微妙に急襲されることになる。さらに重要なことに、相手の「知っている」世界をわたしたちの別の現実で置き換えるため、目標の理論の可能性そのものを攻撃されることによって、「順応」能力が低下する。「決定」は、わたしたちの仮作的・仮想的世界にますます反応し、さらに重要なのは、敵の戦略構造内での軍事的「行動」は、目標のための方法に理性的関係が保てなくなり、ますます麻痺してくる。彼がなすことは現実に基づいていない。わたしたちが彼の現実を変えたからだ。これが現実の戦闘なのである。ということは、わたしたちが戦略的ヴィジョンと情報戦への実際の能力を高めるならば、首尾一貫した戦略を形成・実行する能力を破壊することによって、敵対者を殺すことなく制服するという「技能の絶頂」に手が届くところまで、アメリカの戦略能力を近づけることができる。では、わたしたちは情報戦戦略の発展についてどのように考えるか?
13. John R. Boyd, "A Discourse on Winning
and Losing," 1987. Unpublished set of briefing slides
available at Air University Library, Maxwell AFB, Alabama.
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