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Information Warefare Resources

情報戦とは何か

第6章Sample

心理戦
Psychological Warfare

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 ここでいう心理戦は、(コンピューター支援に対するものではなく)人間の心に対する情報の使用(注30)を内容とする。心理戦には4つの分野がある。(i)国家の意志に対する作戦、(ii)敵対司令官に対する作戦、(iii)部隊に対する作戦、そして――海外で多く尊重された分野だが――(iv)文化的対立。心理戦は情報戦について問われたのと同じ疑問を呈する。それは戦争なのか? それは新しいのか?

30. さもなければ、戦争のすべての様相が含まれるかもしれない。なぜなら、敵の意志を破壊することは一般に軍事作戦の根本的な目的であるからである(例えば、地上作戦に先がけてイラクの陣地に対して絨毯爆撃を多国籍軍が使用したのは、巨大な、そしておそらくは決定的な心理学的インパクトを持っていた)。

 

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対意志

 ビロード製の手袋(「私たちを友好的に受け入れよ」)か、鉄拳(「さもなくば」)か、という双方を通して国家の意志に対する心理戦争を用いることは、軍事作戦への付加物として長く尊重されてきたもので、トゥキディデスの著作にもすでに見られる。最近のソヴィエトの「平和攻撃」とメーデー・パレードは、彼らもその使用に親しんでいるということを示しており、それは我々も同様である。

 ソマリアの部族長モハメド・アイディードは、(もし米国国防総省に主催されたシンポジウムが正しく示しているとすれば)心理戦を使う達人のようである。合衆国レンジャー隊員19人が亡くなった決戦で、アイディード側は、報道によるとその15倍を失ったという――彼の勢力の約三分の一である。モガディシオの通りであざ笑っているソマリア人がアメリカ兵の死体を引きずっている写真がCNNによって合衆国に送信されると、合衆国の家庭にいるTV視聴者はソマリアにいることをイヤだと思うようになった。アメリカ軍は去り、アイディードは、本質的に、情報戦に勝ったのである(注31)

31. 都市の壁を越えて伝わり、そのために場所を特定しづらい太鼓、衛星ターミナル、ラジオ・トランスミッションをアイディードが巧妙に使用したことは、情報戦の別の側面を彼が理解していたという証拠として引用されてきた。


 グローバルなアナウンサーたちは、そのなかでもCNNがリーダーだが、この惑星のどこで起こった事件でも、それが本物であるか、それとも見せるために加工されたものかは別にして、多くの国々の視聴者にそれを配布することを保証している。CNN放送は、即時衛星が報道機関に提供できるというが、この特徴は別として、国際ニュースの概念はCNNによって発明されたものではない。25年以上前、ベトナム戦争は、夕食時に合わせて遅らされて、合衆国のお茶の間に夜に伝えられたのである。

 直接放送衛星(DBS)を使えば、ある国家の指導者は、他国の人々に直接生で話しかけることの許可を、海外の対立国家から得る必要はない。この能力は現在、低価格で誰でも入手可能になっている。北米上に打ち上げられたヒュー・カンパニーの二つの衛星の150チャンネルDBSコンステレーションは、1994年末にサービスを開始し、だいたい10億ドルかかったが、その後の同様のサービスはおそらくもっとコストがかからないだろう。アジアでのDBS応答機は、おそらく年間200万USドルで安くリースできるが、これはクルド人、過激シーア派、シーク教徒、ビルマ山岳民族の地域であり、彼らが自らのメッセージを巨大な聴衆に対して毎日24時間放送する力を与えることだろう。

 超国家的情報スーパーハイウェイの500のチャンネルが現実のものとなったときには、マイクロ放送の増殖によって、グローバリゼーションよりも地方化という逆の効果が促進されるであろうし、世界的イベントの方法は――認知の非CNN化が見られるであろう。利害の一致は、マス・メディアが達するには小さすぎるため、狙い澄まされた方法によって届くことになろう。それぞれのコミュニティのニュースがそれぞれのフィルターと偏向によって変化されるようになれば、大量の聴衆を処理することは次第にむずかしくなってくる。視聴者は、その人自身のニュース放送の形に変えることのできるようなデータ化されたリアルタイムの素材から自分にとって関心のあるニュースとコメントを抽出するために、ネットを散策するコンピューター・エージェントを雇うかもしれない。豊かな社会は、すぐにMe-TVから損害を受けるようになるかもしれない。

 CNN、DBSの到来、そしてマイクロ放送とMe-TVの可能性を与えられて、どのくらいまで一方の陣営が相手陣営に影響するようにニュースを処理するだろうか。豊かな国(と魅力的な犠牲者)は、あまりうまくいっていない国々よりも多くの関心を引きつけ、近づきやすいニュース素材は、近づきにくいニュース素材よりも多く報道され(たとえば、ソマリアとスーダンの飢餓情報の差)、ビデオ・カメラは絵になる素材と人の関心を引く物語を追いかける。ビデオが多くカバーしてくれるように演技を行なうことは、長い歴史を持っている。

 しかし、ランダムで、理解可能な偏向は、特定の方向に向いた事件の提示を処理するための能力には及ばない。国際メディアは戦争において、力強く系統的な影響があるが、彼らはめったに一方の陣営やもう一方の陣営を一貫して報道するわけではない。米国国防総省の不満の多くは、合衆国の無法な敵がメディアの賢明な操作によってアメリカ大衆に説得することができるというものだった。テレビは広く存在しており、合衆国にとっていいものも同じくらい与えられていたというのが実態である(たとえば、この事業における能力をもつ代理人として、政治顧問と公務員も輸出しているのである)。

 何とも奇妙なことだが、与えられた時間でメディアは完全に円熟することができる。「フォレスト・ガンプ」や「ジュラシック・パーク」が典型的に示したように、巧妙に合成した出来事も可能なのである(モーフィング(テレビやコンピューターの画面で画像を変形させること)は、1994年議会選挙中両陣営の宣伝でも際だっていた)。洗練されたニュースの視聴者は、すでに、あるチャンネルの短いレポートを確認するために、他のチャンネルを見るという方法を理解している。もし操作が役に立つなら、個人的に信頼されたニュースの情報源についての考え方は、公的情報源の現在の概念に取って代わるであろう。メディアを通して相手を情報操作したいと思っている陣営は、目標となる人々の多くは何でも信じやすいが、一部は何も信じず、一部はメディアが送信したことと何でも反対のことを信じ、残りは自分自身の世界にいるということがわかるだろう。

 

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対軍

 敵軍に対する心理学的方法の使用は、二つの伝統的なテーマの変形であった。つまり、死(や他の傷害)の恐怖と、塹壕と城(または銃後)の間の潜在的不満である。湾岸戦争では、多国籍軍は多くのイラク兵に対し、もし無防備な乗り物を捨てるならば生き延びられるだろうと説得した。多国籍軍の説得力は、最前の戦闘でそのような乗り物を破壊した兵器によって強化された。

 技術は、どのように自軍が敵軍に話しかける能力を変えていくだろうか? 敵陣営に電子的メッセージを送ることは、少なくとも第二次大戦にさかのぼる(たとえば東京ローズ)。短波ラジオのように、DBSは宇宙から地方のTVに発射するが、はるかに効果が大きいだろう。バッテリーで動くTVは、戦場でも採用されうる。テレビがラジオよりも効果的であるかどうかは決着が付く。明らかに、映像は、聞くだけではわからない即時性と確実性を持っている。急成長しているパソコン・ベースのテレビ(たとえばビデオ・トースター)があれば、戦場の特別部隊は、敵前線後方に放送するための複雑な、信じられるビデオ素材を組み立てることができる。

 情報技術によって、個々の敵対部隊に対して脅迫または憤慨煽動情報を放送できるようになれば、対軍心理作戦における大きな変化が訪れるだろう。場所によって識別された目標の破壊が近いある時期になされるとき、サバイバル戦は、火力を避けるよりも発見されることを避けることが課題となる。もし運転手に、「諸君はすでに発見されている。目に見えるようにその乗り物を破棄しなければ、致命的な軍事目標となるであろう」と告げたら、何が起こるだろうか? 最初しばらくのあいだはテクニックが使われるだろうが、実際の攻撃ではなくデモンストレーションによって、「発見されれば同胞が粉砕される。警告を無視すれば手足や生命に危険が及ぶ」ということが訴えられるようになるかもしれない。すべてのデモンストレーションによって、相互関係は一層はっきりするかもしれない。このような心理戦は、弾薬を節約することになる(そして、CNNによるすさまじい真実の一連の報道を避けることができよう)。デモンストレーションが現実に基づいて反映されていなければ、そうはならない。

 同じ論理で、兵士たちに、妻や恋人がまわりで寝ていると告げることは、もし家にいる者たちが名前で識別できるなら効果的である。原始的社会において個人のデータを集めるのは可能ではないが、先進的社会では容易である。最近はほとんどすべての人について、コンピューター保存された巨大なファイルがあるからだ(つまり、クレジットカード履歴や、受診歴などから)。個人に対する情報を放送することは、最初に示したものほどはむずかしくないだろう(部隊内の個人の位置を知る能力がなくても)。敵陣営が言っていることを知るための二次的ニュースを受信するために、テレビをずっと見続けている必要はない。兵士一人あたり30秒(典型的なテレビ広告の長さ)で、だれも睡眠不足になることなく、一部隊全体が一週間の放送をすべてカバーすることができるだろう。

 

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対司令官

 混乱して方向を見失った司令官ほど、敗北の淵にあると思われるものはない。だが、言葉だけで彼らを混乱させるのはむずかしいことである。多人数の社会では、司令官たちは、自分たちが指揮する任務について報告すべき人々に対して、自分たちの意思を解釈する道具なのである。司令官は、結論を発案するのでもなければ、論理的に、軍事的決定を最適化する課程に個人的見解を入り込ませるのでもない。よい司令官は、不要な感情を抑え、眼前にある職務に対して直接向かっていくものである。

 混乱と方向を見失うことは、認識の状態のみならず感情的な状態でもある。司令官は、不意に起こった事件にもとづいて決定を下す。もし現実が決定に使われた条件と違っているなら、新しい現実に基づいて認識構造(例えば、暗示に導く事実、結論に基づいた行動)を再構築するのはむずかしく、時間もかかる(新しい現実に適応する対人関係と組織に組み替えることは、ほとんど不可能だろう)。シミュレーション、思考実験、仮説からの帰納は、司令官に広い選択肢(それぞれが決定的論理そのものである)を認識させるものであるが、これは不意の出来事への対処を容易にするであろう。ただ、費用がかかる。可能性の分類を熟考することは、必然的に、おそらくとかたぶん程度のことを排除してしまう。滅多に起こりえないことは、完全に捨ててしまうわけだ。だから、もしそれが起こってしまったら、対処法がわかる人はほとんどいない。

 不都合なできごとは常に、司令官を混乱させる可能性を有している(注32)。しかし、情報戦は、大規模なできごとによって方向を見失ってしまうことをともかくも解決することができるだろうか? もしそうであれば、比較的数ある行動法のなかでも、相手側が見ると予期しているものと、実際に見えるものとの差をひきはなすような方法が論理的に好まれるようである(注33)。第2次世界大戦的なたとえでは、直接戦車攻撃は、落下傘攻撃にくらべて、敵を押し返す成功率が高いであろう。敵司令官が、自分への落下傘攻撃は失敗するだろうと確信しているならば、不都合な出来事は、彼に戦略を考え直すことを強いることになるかもしれない。落下傘攻撃が好みの方法になるに至る、この心理学的描写はどれほど正確だろうか? 司令官の方向感覚喪失はどのようなものであり、どのような結果に帰結するであろうか? 混乱を増やすため即時の結果につけ込む戦略を採用するか否かの決定は、データがどのように相手側に作用するかにかかっている。

32. 軍事技術の傑作は、ウィンストン・チャーチルによれば、「それは敵がうち負かされたというだけでなく困惑させられたままにしておくような斬新で不吉な感触という詐術」を含んでいる(The World Crisis, 1915 [London, 1923], 21)。

33. 予期しない成功は方向を見失わせることができるが、それは自尊心に結びつきやすく、ある人の能力の再評価を妨げるよう誘導することはありそうにない(自分たちの勝利を予見することはできないと考える人は少ないということだ)。予期しない成功はまた、続く決定に組み込まれることもありそうにない。

 作戦級で敵司令官を誤導しようという試み(注34)は、情報戦の重要な一部である。歴史的に、このような策謀は、相手陣営が何をし、何をしないかについて、他方の陣営がよく知っているときに最もよく機能した(注35)。第二次世界大戦では、たとえば、ドイツの場合、連合軍が大西洋の壁を越えてくるのにカレーから来ようとするだろうと信じさせられた。日本も同じくらい強固に、合衆国軍がアリューシャンから攻撃してくるだろうと信じさせられた。どちらの場合も、連合国軍はそれらの危機を演じ、最終的な攻撃がきたとき、最も必要でないところに敵の軍事力を釘付けにしたのである。同様に、イラクは、地上戦に先がけた短い時間に戦場の抵抗を和らげる程度にしか合衆国は航空戦を使わないだろうと信じさせられた(実際には40日間昼夜続いた)。イラクはまた、合衆国は海からクウェートを奪回しにくるだろうとも信じていたのである。CNNのような国際的メディアで伝えられた合衆国の準公的実況放送は、最初の確信を強化するようになった。また、さらに古いやり方(例えば、海岸線を船で行き来させる)が、第二の確信を強めさせた。


34. 戦術級における詐術については、防御的諜報基盤戦を参照のこと。

35. この議論の流れは、George Kraus(科学応用国際法人)とAllen Carley(CIA)が提案してくれた。


 情報戦は、また意図と能力について敵国官僚――外交官とスパイ――を欺く日々の任務にも適用できる。兵器は、実際よりも多少効率的だとか速いとか言われているかもしれない。ある国家の戦争準備は、効果のために強調されてもいいし、相手を安心させるために軽く見せることもできる。このような活動はまさに一般的で歴史的なものであるため、常にむずかしいことがわかっている国政術における日々の仕事というより、戦略としてのレッテルを貼ることになるのである。

 先進情報技術は、どのようにして作戦上の詐術を強調したり、和らげたりすることができるだろうか? 組織(たとえばCNN)と、明日の技術(たとえばDBS)は、詐術を流布することを容易にする。将来、CNNから「狭い放送(narrowcasting)」への移行があれば、一方の陣営が他陣営の政治内部の対立派閥に異なった(おそらくは矛盾すらする)メッセージを送る能力も生み出すことだろう。メディアが増殖することは、混乱した公表がなされることを許すだろう。しかし、検査技術が次第に細かくなるにつれて、詐術を達成するにはさらに細部を正確にしなければならなくなるはずだ(注36)

36. 暗号が弱かったとき、詐術の一方法として、あたかも事故であるかのようにメッセージを相手の手にもたらすというものもあった。今、暗号は強く、そのような掘り出し物はさらに疑いを招くことになってしまいそうである。

 

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文化闘争(Kulturkampf)

 文化的闘争が心理学戦の一形態であるか否かは豊富な話題であるが、多くの非西洋国家では、西洋――つまり、主としてアメリカ――大衆文化(例えばファーストフード、ハリウッド映画、ブルージーンズ)によって伝統文化が広範囲に侵略されているということに困惑している。複数の予言者は、文明の衝突 (注37)の到来を予見している。それは、国々が聖母(マドンナ)崇拝問題で論争することによってではなく、たとえば、現代の歌手のマドンナが伝統的な価値体系への攻撃ととらえられることによって起こるのである。直接文化攻撃の告発への恐怖と嫌悪からのつまづきは、短いものである。

37. Samuel Huntington, "The Clash of Civilizations?" Foreign Affairs, 72, 3 (Summer 1993), 22-49.


 文化戦は新しい情報技術の産物であろうか? ほとんどそうではない。ヘブライ人とシリアのギリシア人のあいだの文化闘争の結果として毎年12月が祝われることになったのだし、合衆国の文化帝国主義への恐怖は、確かにネットワークテレビに先行している。文化的挑戦は、多国籍企業(進んだ通信機能を要求する)、インターネット、衛星ビデオ給送装置、最近のDBSなどの手段によって容易なものになっている。

 文化戦は戦争(繰り返すが、それは政策という意味でもある)の一形態であろうか? ピオリア(イリノイ州中央部の都市)からは見えない。第一に、国民文化の概念全体は、ほとんどのアメリカ人にとって単に違和感のあるものである。この国家にとっての国民文化というのは、文化習慣というよりも、政治的・社会的行動の標準によって決定されるものとして発展してきたものなのだ。(英国慣習法に続く)合衆国憲法は、この社会政治的行動の最前で唯一の表現といえるかもしれない。少なくともアメリカ人の目から見れば言葉、芸術、料理に重々しい国家的責任を吹き込んでいるように見えるフランスとは違って、アメリカ人は、文化という概念全体を嫌がる傾向がある。開拓民と移民の国家的神話に浸されて、アメリカ人は、文化的選択を、ワンセット、性急に選択――または発明――する権利を守ろうとする。ということは、もし日本人がアメリカ人に書道、家族での入浴、ダイカン、カラオケをここに売り込もうとしたら、ほかの売り込み人たちと同様に受け入れられるということになる。

 文化戦は、合衆国が他に対して仕掛けるほうがありそうなものである。文化的製品は、合衆国が一貫して輸出過剰を享受している唯一の分野の一つだ。フランス人やカナダ人が合衆国から自国への文化的輸出に苦情をいうとき、合衆国はこれらの苦情が世界貿易への脅威であるようにみなし、そのような文化的関係を法的に扱うことを拒否する。まだ、合衆国の政策は、合衆国の政治的文化(たとえば多数決制、少数者の権利)を、海外に輸出・採用させたいと思っている。貿易規則は別として、政策は他の文化的影響について完全に、また適切に沈黙を守っているのである。

 

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