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Information Warefare Resources

情報戦とは何か

第1章Sample

ゾウがいるのか?

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 1994年秋、私は国防総省官房に後援された情報戦ゲームを観察する権利を与えられた。洗練された電子産業を有する中規模で中流の収入の国家〈赤〉は、隣国攻撃に至る精巧な5年計画を開発した。〈青〉――合衆国――は、隣国の同盟国であり、〈赤〉の計画の気配を感じた。双方が平時情報戦を実施し、戦時情報戦を熟考するために、延長された準備期間に入った。双方のプレイヤーは、行動について決定するため、ゲーム室に退いた。

 ゲーム室から戻るとすぐに、双方ともにその戦略を示した。二つのやっかいな傾向が明らかになった。第一に、双方の側ともに他方の情報システムがどのように結ばれているのかを決定するのに困難があったため、提案された作戦(たとえば、〈青〉は〈赤〉の銀行システムをうち倒す)のほとんどにとって、どんな行動が成功するかしないかわからないし、この文脈で「成功」が何を意味するのかすらわからなかった。第二に、対立を拍手の音とすれば、手がすれ違っていた。〈青〉は、情報戦とは、ハッカーの軍団が〈赤〉のコンピューターシステムの弱点を探し当て、ウィルス、寄生虫、論理爆弾、トロイの木馬といったものの大群によって活用できるものだと見なしていた。〈赤〉は、情報戦とは、メディアをとおして心理的操作をすることだと見ていた。情報戦での戦時対応が議論になるまえにすら、このような見方が起こったのである。戦闘は偶然によってすらかみ合わなかった。

 このゲームは、情報戦の性質を決定する表現を選ぶのに根本的な難しさがあることを示した。それは新しい技術なのか? 戦いの重要な側面におけるしばらくの間の最新版なのか? 急速に発展しつつある全地球的情報基盤設備(グローバル・インフォメーション・インフラストラクチャー)から出てくる対立の新しい媒介なのか、それとも情報技術が寄与してはいるが人間の脳のウェットウェアに依存するものなのか? それは作戦が統合されたものなのか、それとも一本の電線にとまった鳥の無秩序な群れなのか?

 情報戦は米国国防総省の熱い話題であり、戦いの未来を熟考する上で不可避である。それは軍事上の革命と結びついており、国防の概念の上部構造においてほとんどトーテム的な重要性があると仮定されてきた。トフラーの「戦争と反戦」(注1)などの最近の大著は、情報技術が第2の波(産業的)社会を第3の波(情報基盤設備的)社会に変えているという信念を記事にしたものである。産業技術におけるかつての絶対性が弱まっているように見えているいま、合衆国が情報の扱いにおいて絶対性を獲得しているとみなすような人々にとってかなりの快適さを提供することが先決で、戦争は二の次でなければならない。


1. Alvin Toffler and Heidi Toffler, War and Anti-War (Boston: Little Brown, 1993).

 しかし、情報戦を把握することは、盲目の人がゾウの性質を調べようとする努力に似ている。脚に触った者はそれを木と呼び、尾に触った者はロープだというようなものだ。情報戦を明示することは同様に認識されている。全体のある一部分は形態・機能と密接な関係があるのだが(たとえば、電子戦と指揮統制戦)、お互いに抱いたゾウの定義はどれも、情報戦ではないものはほとんどないと思われる。

 よい定義は可能だろうか? 一大事だろうか? たぶんゾウはいない。木やロープが一つになろうとしているだけなのだ。問題を明確化することは、学問的な屁理屈よりずっといい。第1に、隠喩が示すように、ずさんな考えが間違ったたとえを促している。おそらくただ一人の提唱者のみが唱えるにすぎない情報戦の一つの側面が、完全な概念の役割だと思わされて、重要性をひどく膨らまされている。第2に、あまりに広すぎる定義のために、(情報戦は情報と戦いを含んでいるというような)明らかなこと以外にはどんな共通概念の流れをも発見できなくしているが、もっと狭い定義なら明らかにできるはずだ。第3に、いい加減で包括的な視点からのずさんな推定によって、もしこれらの舞台をたとえることができるなら、合衆国は空中戦において現在享受しているような優位性を情報戦においても求めることができるし、またそうすべきだ、という結論を導き出している。

 情報戦の初期の提案者であるトーマス・ローナ(Thomas Rona)は、以下の定義を示した。

平時・危機・危機増大・対立・戦争・戦争終了・再建/復元の範囲にまたがり、競争相手・対抗者・敵との間に遂行され、目的を達成するために情報手段を用いる戦略級・作戦級・戦術級抗争。

 この定義は広い。広すぎる。いずれにしろ、それは人間の行動のほとんどすべてを含んでいる。これと関連した見方では、情報戦が存在するのは、自分の提示する対立の構図が、敵側から見たものよりも正しいのだと示そうとするためだ、という。この見方は有益だが、不完全だ。すべての視点は正しくない。データは、それが依存する概念構造なしには存在しえないからだ。最もよい構造でさえ、複雑な世界の抽象概念だ。その構造が、重要で有害なバイアスがかかったものか、それとも取るに足りないが無害な方法であるかというのは重要なことだ。

 統合参謀本部は、情報戦の軍事的形態(非軍事的形態には、たとえば、ハッカーから国家金融システムを守ることなどが含まれる)に精密な責任を割り当てるために、多大な困難に直面してきた。指揮統制戦(C2W)は統合参謀本部内のJ-3(作戦課)に割り当てられた。セキュリティと防御のための指揮統制系統の設計は、明らかにJ-6(C4課)の割り当てだった(注2)。戦場の諜報・調査・監視のシステム構築・維持に関する情報戦の形態は、自然にJ-2(諜報課)のもとに置かれた。最後に、情報戦の興味深い点のほとんどによって、未来の情報構築が現在のものと違っているだろうと推定されたため、情報構築は長期計画と関連し、それはJ-5(戦略方針計画課)に落ち着いた。


2. 1994年末、この2課が公式な分業について協議した。決定に関する情報戦の役目と任務を部門がいかに分担するかは、ここに示したままであった。

 このエッセイは、情報戦の定義を分類しようとしている(注3)。第一部は、7つのもっともらしく明瞭な情報戦の形態を紹介する。それぞれ、別々の専門家によって、情報戦を定義する例として認定されたものである。それぞれ、何のためにそうするのか、どういう意味でそれは戦争なのか、それは半導体技術に何を依存しているのか、他と比べて合衆国はそれをうまく遂行できるか、と問うことによって検査されている。情報戦は新しいものとみなされることも多いが、いくつかの形態は他よりさらに新しい。いくつかは情報技術によって可能になり、他のものは変化を受けるが、他のものはごくわずかな影響をうけるだけである。


3. 次の本も参照のこと。Julie Ryan, "Offensive Information War, a paper presented to the Naval Studies Board of the National Research Council (Washington, DC), 8 Sept. 1993.

 このエッセイの第2部は、基礎的テーマを探る。海戦が海軍に割り当てられているというのと同じ意味で、情報戦全体が情報兵に割り当てられるだけの充分な一貫性を、情報戦の形態が持っているか? 「優越性」などの伝統的な概念は、どのような範囲で情報戦に当てはめることのできるか? 情報戦の効果的遂行のための概念の枠組みを提供できるような基礎的原則、把握、そして最終的に精通はあるのだろうか? で、実のところ、情報戦は本当に戦いなのか?

注意:理想的な定義を探している人は、よそで探すべきだ。ここで使われた類型学は、大きな分野を扱いやすいパーツに分割することを意図している――情報戦は、一つの特有の形態というより、形態の寄せ集めと考えたほうがよさそうだ。

 

 

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