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平成10年7月2日 防衛研究所 「湾岸戦争にみる米軍の戦略展開」
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戦史部 所員 高橋弘道氏 |
昭和44年3月 同志社大学法学部卒 主要研究対象:戦略・戦術・作戦思想 |
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「十年一剣を磨く」 |
日露戦は、バルチック艦隊戦で指揮中枢を破壊したのが大きかった。この30分の決戦のために、そこまで10年の戦争があったのだという。 湾岸戦争では、米空軍初戦数分の勝利が湾岸の勝利を導いたという。このために、砂漠の嵐・砂漠の盾などの準備が7か月あった。そして、そのためには10年以上の戦備が必要だった。 |
準備の必要性 |
200件の危機があったが、アメリカには対応するプランがなかった。 JOPES(統合作戦計画実行システム:Joint Operation Planning and Execution System) |
アメリカの戦略の変遷 |
米軍のロシア(ユーラシア)囲い込み配備 |
固定的な点への配備であり、経済的ではない。 しかも完全に覆い尽くすことはできない。 湾岸戦争では、米空軍初戦数分の勝利が湾岸の勝利を導いたという。このために、砂漠の嵐・砂漠の盾などの準備が7か月あった。そして、そのためには10年以上の戦備が必要だった。 |
モーゲンソーの見解 |
マジノラインと同じで、役に立たない。第二次大戦では、日本の弱いところを突いて勝った。「集中と機動展開」が必要だ。 |
ワインバーガー |
脆弱点を突くこと、兵力を集中させること、による機動展開戦略。1980年代。 1947年安全保障法により、各地域ごとの統合運営が開始されていた。統合軍司令官がJOPES実施者となり、指揮系統を統一することになる。 背景…… ワインバーガー・ドクトリン |
JOPESへの進化 |
JOPS |
1967年開発開始。 ○PPBS(国防力整備計画システム) |
JOPSとCAS |
○JOPSは事前の「周到な計画」(deliberate planning) 事前にJOPSで計画を立てておき、それぞれの事態に対処するのがCAS。 |
Joint Planning Summary |
JSCP(周到な計画)の手順 |
1着手段階 |
CAS(危機行動計画)の手順 |
1情勢分析段階 |
日数 |
JSCP着手段階からCONPLAN作成まで約150日。 |
JOPESの機能 |
・監視 ・脅威識別評価 ・シミュレーションと分析 |
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1995年 GCCS Open Architecture (Computer) |
総合運用、双方向性コンピューターが使われるようになった。 |
JOPESは湾岸戦争でうまくいったのか? |
60年代 |
アメリカは中東から撤退し、力の真空地帯が生まれた。そこでイランを「中東の警察官」にしようとした。 →イラン革命で不安定になってしまう。 アメリカが自ら出ていくには、アメリカから最も遠い地域。 |
1979年 テヘランのアメリカ大使館人質事件 |
米軍は戦力不足で、陸海空とも使えなかった。 |
1980年1月 カータードクトリン |
ペルシャ湾の死活問題。 |
1983年11月 中央軍 |
シュワルツコフ率いる中央軍をを中東に。権限は少ない。 |
1987〜89年 イラン・イラク戦争 |
アーネストウィル作戦。 |
1989年 中央軍司令官演習 |
イラクのクウェート侵入に対処していた。湾岸戦争は予想どおりの事態であった。 |
"J.Plan Summary"という本によると…… |
中央軍のOPLAN 90-1002(テン・オー・ツー)がギャラントナイト演習だったという。トップシークレット。 |
公式発表では…… |
OPLAN 90-1002は89年5月の図上演習である。はじめから南西地域の地域紛争を想定していた。ソ連介入ではなく、地元の問題。 |
インターナル・ルック90 |
イラクのクウェート侵攻直前。シュワルツコフ大将が指揮。 |
パウエルには二つの選択肢があった |
空爆か、米軍を中東派遣・増強するか。 侵攻直後、数日間は重要だった。10cmくらいの厚みのあるバインダーを見せて、周到な計画があると思いこませ、サウジに必要な軍備を出させた。この資料が説得する材料として役に立った。これが周辺諸国への決定的な意味を持った。 キャンプ・デービッドで、シュワルツコフ、ブッシュから承認される。 ベトナム戦争に鑑みて、大量兵力の造成。作戦計画どおりに。短期間でできたのは、1002があり、JOPESが使えたからである。 1002はCONPLAN止まりで、コンピューターに入っていなかった。そのため、兵力展開は手作業で計画する羽目になった。最初はまごまご。 3週間後、朝鮮戦争の3か月を上回る燃料などを輸送。「展開はうまくいった」 ※データがコンピューターに入っていない。 個人の運用の妙が役立った。 1002は、そのままではないが、大きく寄与した。OPORD91-001 が砂漠の嵐作戦である。 |
結論 |
JOPESは発展途上である。 |
湾岸戦争の教訓 |
湾岸戦争の勝因 | 大統領のリーダーシップ 革命的な新兵器 有能な指揮官、勇敢な兵士――軍質 不確実――しっかりした計画、兵站、ネットワークづくり 質の高い戦力を作るには長期計画が必要 |
課題 |
イラクが5か月間何もしなかったことが最大の貢献。 米軍がそれで展開できた。 どうしたら急速に戦略造成できるか? OPLANの過程が重要。 |
質疑応答 |
湾岸戦争への 日本の貢献 |
Q1.文春5月号で石原慎太郎が「湾岸戦争で日本は貢献している」と言っている。資金の話だけでなく、電子技術供与ということが言われているが。 A.民政技術、特に光学に役立っている。SONYのテレビ技術など。 |
JOPESは本当に 役立ったのか |
Q2.湾岸戦争では、作戦地域が限定されている。ロジスティックスも攻撃が限定されていた。アメリカの一人相撲で、計画通り行なえる条件が整っていた。もし、イラクが海上兵力を持っていたり、戦場が広がったときには、コンピューターシステムは対応できない。JOPESが万能と証明されたわけではないのでは? A.湾岸は例外的。特殊な条件だった。 JOPESがどこまで役立ったかについては大きな疑問がある。 むしろ、民政に及ぼす影響が大きい。 |
JOPESは日本でも 機能するのか |
Q3.Concept Developmentの段階が重要だが、統合参謀本部のない日本でJOPESを導入して有効に機能するのか? A.JOPESの流れは「着手」「構想策定」「計画」「再検討」。 手順は重要。特にConcept Developmentが重要。 機械的な複雑さに目を奪われてはならない。 問題としては、 |
JOPESの解説書 |
Q4.JOPESの解説書はあるか。 A.米軍マニュアル Joint Doctrin Mannualがある。 |
by 石原光将(ISHIHARA Mitsumasa) |