USSグリーンヴィルは61番目のロサンゼルス級潜水艦であり、22番目の改ロサンゼルス級攻撃潜水艦である。本艦はUSSグリーンヴィルと名付けられた最初の船である。本艦の建設は1990年3月1日に始まり、その竜骨はニューポートニューズ造船・乾ドック社(Newport News Shipbuilding and Dry-Dock COmpany)に1992年4月16日に置かれた。1994年1月19日、米国海軍は公式に就役前部隊グリーンヴィル( SSN 772)に要員を配置した。本艦はアル・ゴア副大統領の妻であるティッパー・ゴア夫人によって1994年9月17日に洗礼を施された。1996年2月16日、USSグリーンヴィルはノーフォーク海軍基地で合衆国海軍の軍艦として就役した。
グリーンヴィルは1996年2月から1996年7月まで、西大西洋で試運転航海を行った。試運転後の有効化として、1996年8月から1997年2月までニューポートニューズ造船社において、騒音を静め、装備の信頼性を高め、深度潜航救急船と進化したSEAL特殊部隊輸送システムのための支援システム導入といったさまざまな改造が行なわれた。
USSグリーンヴィルは1997年4月に新しい母港・真珠湾潜水艦基地に移った。本艦は1999年1月に最初の派遣を完了し、日本、韓国、グアム、ニューカレドニアへの港訪問も行なわれた。
名前の由来
テネシー州グリーンヴィルとグリーン郡
テネシー州北東部の人口およそ1万5000人の歴史的な町グリーンヴィル(Greeneville)は、独立戦争の英雄ナザニエル・グリーン将軍(Nathaniel Greene)にちなんで名づけられた。スコットランド系アイルランド人の移住者によって1780年ごろ開拓されたこの町はテネシー州より古い。多くの町と市が同じ名前を有するが、テネシー州のGreenEvilleだけが真ん中にEが入っている。
有名な辺境開拓者デービー・クロケット(Davy Crockett)は1786年にグリーン郡に生まれた。デービーの孫の孫の孫が今もグリーン郡に住んでいる。
1785年から1788年まで、グリーンヴィルは歴史上存在したが今はないフランクリン州の首都であり、「不成功の政治的実験の最も成功した」首都であった。この地域はバージニア州の一部であり、後にノースカロライナ州の一部となった。18世紀末にはフランクリン州として知られていたが、ノースカロライナからの激しい反対圧力のもと、大陸会議ではわずか2票差で州になり損ねた。歴史上興味深い場所の一つとして、グリーンヴィル史跡地区内に今日、首都の複製が作られている。
南北戦争の間にはこの区域はしばしば所属が変わり、南北戦争がいかに南部全体の友人たちや家族を引き裂いたかという研究の題材となっている。グリーン郡の裁判所の芝生には2つの記念碑がある。一つは連邦、一つは連合のものである。
郡の状況は、強力な農業的基盤があるが、高度に工業化されてもあり、500の提携企業を有する14の企業と、数十のその他の産業がある――「地元産」の国内的雰囲気と、国際的な雰囲気が組み合わさっている。
我々の国の歴史に根深くからんでおり、第17代大統領アンドリュー・ジョンソンもここの出身である。ジョンソンの2つの家は国家記念物として復元され、国立公園局によって運営されている。この場所は「記念碑の丘」――ジョンソンと彼の家族が埋葬される美しい丘の上の墓地――を含む。グリーンヴィル住民は、海軍が船に主要な首都圏以外の都市の名にちなんで命名することによって田舎町のアメリカをたたえるべきであると感じた。グリーンヴィル以上に田舎町のアメリカの代表にふさわしいところがあるだろうか? ロサンゼルス級建造が終わるまであとわずか2隻のSSNが建造される予定であったので、人々はその一つに自分たちの町の名前がつけられるよう希望すると決議した。
この考えは2人のグリーンヴィル金属製造社(Greeneville Metal Manufacturing)の社員――デール・ロング主任とボブ・ハーンドン工場長――が発端だった(GMMIは多くの潜水艦部品を作っていた)。彼らはG・トーマス・ラヴ市長と地元の商工会議所に接近した。名前をつけるため努力することが決議され、USSグリーンヴィル委員会が結成された。
市民は、地元の企業、学校、種々の政府組織・民間組織を含む運動を組織化し、非常に活発なキャンペーンを始めた。多くの請願と手紙がワシントン高官宛に書かれた。12人代表団が、海軍長官とブッシュ大統領の代理人だけでなく、州上院議員・下院議員に対する会合とプレゼンテーションのためにワシントンに飛んだ。1989年12月12日、海軍長官はSSN-772がUSSグリーンヴィルと命名されるであろうと発表した。
船の紋章
USSグリーンヴィルの紋章は2人のテネシー州グリーンヴィル住民によってデザインされたものであり、テネシー湖面上に目立つ改ロサンゼルス級潜水艦を描く。潜水艦の向こうには、グレート・スモーキー山脈の山麓の丘に広がる青々と豊かな緑が横たわる。前景には、交差したマスケット銃がある。これは、デービー・クロケットが使った長いライフル銃を示す歴史的なシンボルである。デービー・クロケットはテネシー州グリーン郡で1786年に生まれた。グリーンヴィルの町はグレート・スモーキー山脈とその山麓の丘のパノラマの光景を示している。この絵のように美しい場面を囲んでいるのは、赤・白・青の救命浮輪である。これは国旗の色でもある。救命浮輪の上には、船の名前が金色で、船のモットー「フロンティアを防衛する義勇軍」が白で書かれている(※訳注:義勇軍=Volunteerにはテネシー人という意味もある)。紋章の下には、金色で船体番号(SSN 772)の書かれた青い札をつけた金色のひもが救命浮輪にまとわりついている。
USSグリーンヴィルの戦闘紋章は1998年までグリーンヴィル船内に配備された補助員MMFN(SS)Neriによってデザインされた。グリーンヴィルはサメが特徴的であり、マスケット銃、魚雷、ミサイル、アライグマの皮帽子がグリーンヴィル乗員の闘志を表わしている。
潜水艦イルカの起源
合衆国潜水艦軍務のバッジは2匹のイルカによって両側を挟まれた潜水艦である。伝統的に海神ポセイドンの付添人、船員の守護神とされたイルカは、穏やかな海の象徴であり、「水兵の友」とも呼ばれる。
合衆国潜水艦軍務バッジの起源は1912年にさかのぼる。その年の6月13日、潜水艦第3部の司令官アーネスト・J・キング(Ernest J. King)大佐、後の海軍元帥、第二次世界大戦中の海軍作戦部長が、潜水艦乗員資格者のための識別紋章を採用するよう提案した。(もともとのデザインはキング大佐自身のペンで書いたスケッチに基づいていた)
潜水艦資格ブローチが最初に1941年に初めて公認され、士官は左胸に金イルカをつけ、乗員は銀イルカを右のそでにつけた。今日、士官と徴兵者のバッジはどちらも左胸につけられる。
「潜水艦資格を取得する」ために、潜水艦乗組員は、船の構造、操縦、損害の制御についての深い知識を有し、戦闘状況における信頼性を証明しなければならない。